主をどこまでも信頼せよ。主こそとこしえの岩。(イザヤ26:4)
(イエスの言葉)私のもとに来て、私の言葉を聞いて行う者が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて家を建てる人に似ている。(ルカ6:47~48)
今は、自分の基盤をどこに据えたら良いのかよく分からなくなっている時代なのではないかと思います。私たちの確かな土台は一体どこにあるのでしょうか?現代日本社会は経済的にも不安定で脆弱ですし、民主主義も誤作動を起こしているし、そもそもそういうものの前提であるはずの人間の感情的な能力も明らかに低下しています。私たちはいつの間にか自分のことしか考えられなくなり、もっともらしくて言説に振り回されている。自分の不安を覆い隠すために強そうなものや多くの人が言っていることに、深い考えもなしに自分の身を委ねてしまってはいないだろうか。例えそれが聞くに堪えない憎しみを撒き散らすような言葉であっても。今は、確かな土台を喪失した時代なのかもしれません。
主イエス・キリストは、ご自身の御言葉を聞いて従うことにこそ私たちの土台があるとおっしゃいます。「私のもとに来て、私の言葉を聞いて行う者が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて家を建てる人に似ている。」キリストの言葉をただ聞くだけではなく、従う。それはしんどいことです。私たちは悲しいほどに罪人です。キリストの言葉に従うことは正直言って簡単ではない。しかしそれは固い岩盤に穴をうがって土台を据えているのと同じだ、と主はおっしゃいます。それでこそ家はしっかり立つ。それは、キリストの言葉という土台が絶対に確かだからです。
私たちの岩である神を信頼しましょう。そしてこのお方に従いましょう。私たちは悲しいほどに罪人です。しかしキリストは無限に憐れみ深い赦しの神でいてくださいます。だからこの方を信頼し、この方の御許に立ち帰り、そして新しくこの方に従いましょう。ここに私たちがこの世界で確かな者として生きる秘訣があるのです。
(イエスの言葉)私のもとに来て、私の言葉を聞いて行う者が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて家を建てる人に似ている。(ルカ6:47~48)
今は、自分の基盤をどこに据えたら良いのかよく分からなくなっている時代なのではないかと思います。私たちの確かな土台は一体どこにあるのでしょうか?現代日本社会は経済的にも不安定で脆弱ですし、民主主義も誤作動を起こしているし、そもそもそういうものの前提であるはずの人間の感情的な能力も明らかに低下しています。私たちはいつの間にか自分のことしか考えられなくなり、もっともらしくて言説に振り回されている。自分の不安を覆い隠すために強そうなものや多くの人が言っていることに、深い考えもなしに自分の身を委ねてしまってはいないだろうか。例えそれが聞くに堪えない憎しみを撒き散らすような言葉であっても。今は、確かな土台を喪失した時代なのかもしれません。
主イエス・キリストは、ご自身の御言葉を聞いて従うことにこそ私たちの土台があるとおっしゃいます。「私のもとに来て、私の言葉を聞いて行う者が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて家を建てる人に似ている。」キリストの言葉をただ聞くだけではなく、従う。それはしんどいことです。私たちは悲しいほどに罪人です。キリストの言葉に従うことは正直言って簡単ではない。しかしそれは固い岩盤に穴をうがって土台を据えているのと同じだ、と主はおっしゃいます。それでこそ家はしっかり立つ。それは、キリストの言葉という土台が絶対に確かだからです。
私たちの岩である神を信頼しましょう。そしてこのお方に従いましょう。私たちは悲しいほどに罪人です。しかしキリストは無限に憐れみ深い赦しの神でいてくださいます。だからこの方を信頼し、この方の御許に立ち帰り、そして新しくこの方に従いましょう。ここに私たちがこの世界で確かな者として生きる秘訣があるのです。