もし、主が家を建てるのでなければ、それを建てる人々は空しく労苦することになる。(詩編127:1)
(シモンの言葉)「先生、私たちは夜通し働きましたが、何も捕れませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかった。(ルカ5:5,6)
今日の御言葉を読むときに注意したいのは、シモンの漁はイエス様がおっしゃったとおりにしたから上手くいった、という話ではない、ということです。つまり、神様がおっしゃるとおりにすれば豊漁というご褒美がある、という話ではない。そこがまず大切だと思います。
シモンは一晩中、夜通し漁をして働きましたが何も捕れませんでした。もうこの時、すでに神さまの御手は働いていたのではないでしょうか。この夜の不漁がシモンの主イエスとの出会いの始まりになっていた。そして、主と出会い、お言葉を頂き、彼はそれに従った。そこで魚が捕れるという出来事を経験しました。そして、シモンが主イエスと出会って御言葉を聞いて新しい出来事を経験したとき、この夜の不漁の意味づけが変わったのではないかと思います。たった一匹の魚が捕れないときにも神の御手が働いてくださっていた。その事実に気付き、この夜の意味づけが変化したのではないでしょうか。
私たちの思いを超えて、神が働いてくださっています。私たちの理解できないことや失敗も、あるいは罪さえも用いて、神が私たちを通して御業を進めてくださっています。ですから、今日私たちも祈りの内に一日の仕事をし、神様に信頼して今日という一日に出て行きたいと願います。
(シモンの言葉)「先生、私たちは夜通し働きましたが、何も捕れませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかった。(ルカ5:5,6)
今日の御言葉を読むときに注意したいのは、シモンの漁はイエス様がおっしゃったとおりにしたから上手くいった、という話ではない、ということです。つまり、神様がおっしゃるとおりにすれば豊漁というご褒美がある、という話ではない。そこがまず大切だと思います。
シモンは一晩中、夜通し漁をして働きましたが何も捕れませんでした。もうこの時、すでに神さまの御手は働いていたのではないでしょうか。この夜の不漁がシモンの主イエスとの出会いの始まりになっていた。そして、主と出会い、お言葉を頂き、彼はそれに従った。そこで魚が捕れるという出来事を経験しました。そして、シモンが主イエスと出会って御言葉を聞いて新しい出来事を経験したとき、この夜の不漁の意味づけが変わったのではないかと思います。たった一匹の魚が捕れないときにも神の御手が働いてくださっていた。その事実に気付き、この夜の意味づけが変化したのではないでしょうか。
私たちの思いを超えて、神が働いてくださっています。私たちの理解できないことや失敗も、あるいは罪さえも用いて、神が私たちを通して御業を進めてくださっています。ですから、今日私たちも祈りの内に一日の仕事をし、神様に信頼して今日という一日に出て行きたいと願います。