2025年2月18日火曜日

2025年2月18日の聖句

こうして、あなたは知るようになる。
私が主であり、私を待ち望む者は恥を受けることがないと。(イザヤ49:23)
会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださる。(ルカ12:11~12)

「会堂や役人、権力者のところに連れて行かれる」と書かれています。これらを現代の社会的立場に置き換えることはなかなかに難しいですが、役人や裁判官、警察や検察、あるいは職場の上司や社長、自分より強い立場にある取引先など、そのような相手と言っていいのではないかと思います。そのような人々の前に出て行かなくてはならず、しかも自分の信仰を弁明しなければならないとき・・・。そのようなとき、「何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配してはならない」と言うのです。
もう10年くらい前ですが、横浜地検の検事から教会に電話がかかってきたことがあります。○○さんという方はそちらの信者さんですか、という趣旨のことを尋ねられました。知らない名前だったので、知らないと言って電話は終わりました。一体どのような事件の捜査だったのか、今でも分かりません。もしもあのとき、私の知っている人の名前を尋ねられていたらどうしていたのだろう、と今でも考えてしまいます。
もちろん主イエスがおっしゃったのは捜査に協力するか否かという話ではありません。私たちよりも力ある者の前でいかにして信仰の証しをするのか、という話です。聖霊が言葉を下さるから安心して良いとおっしゃるのです。権力がある者は、恐ろしい存在です。いざというとき自分がどうなってしまうのか、考え始めると全然自信がありません。しかしそうやって心配しなくていい、聖霊が共にいてくださる。それがキリストの答えです。
信仰を拒む家族、分かってくれない友人など、いろいろな人が私たちの周りにいて、私たちはその人たちとも共に生きています。聖霊なる神様がご自身が、そういう関わりの中での言葉を下さる。これは本当に勇気になる約束ではないでしょうか。

2026年5月10日の聖句

今週の聖句: ほむべきかな。神。 神は私の祈りを退けて、御恵みを私から取り去らなかった。(詩編66:20) 今日の聖句: 私たちが仕える神は、火の燃える炉の中から、私たちを救い出すことができます。たとえそうでなくとも、私たちはあなたの神々に仕えることも、あなた...