2025年5月23日金曜日

2025年5月23日の聖句

私は地の果てから呼び集める。その中には目の見えない人も足の不自由な人も身ごもった女も、臨月の女も共にいる。大いなる集団がここへ帰って来る。(エレミヤ31:8)
すると、家の主人は怒って、僕に言った。「急いで、町の大通りや路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。」(ルカ14:21)

神の国について、主イエスが語り聞かせてくださった譬え話です。主人が盛大な宴会を催そうと、大勢の人を招待していました。ところがいざ宴会が始まることを伝えると、招かれていた人たちはいろいろな言い訳をしてちっとも宴席に来ようとしません。それで主人は怒って言います。「急いで、町の大通りや路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。」命じられた僕は主人が言うとおりにした。そんな話です。
もともと招かれていた人は、まさに招かれるべきと誰もが思う人たちのことです。神の民ユダヤの人々であり、聖書の先生たちや立派な生き方をしていると思われていた人たち。そして新たに招かれた「貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人」は、当時の感覚からすると、神様の祝福から遠い人々、と見なされていた人たちです。
私たちが神に招かれたときにすることは、ただ一つです。他のものを後回しにして、神の招きに応えること。これだけです。私たちの中には一つもふさわしさなんてない。ただ神が招いてくださったということ、それだけがすべてです。そしてそれは、もともと招かれいた人も後から招かれた人も同じです。神は招いてくださっている。それに応えるか否か。それだけです。応えましょう、神に。私たちのところにまで来てくださったキリストに応えましょう。それだけが私たちのすべてです。

2025年7月14日の聖句

あなたが造った神々はどこにいるのか。災難に遭ったとき、あなたを救えるのなら。(エレミヤ2:28) 私の愛する人たち、偶像礼拝を避けなさい。(1コリント10:14) 偶像礼拝。それは、私たちの願望が造り出す神への礼拝です。偶像の神は私たちの願いの奴隷です。ですから何らかの目に見える...