2025年6月17日火曜日

2025年6月17日の聖句

私は神、あなたの父の神である。私はあなたと共にエジプトへ下り、また必ずあなたを導き上る。(創世記46:3,4)
ペトロが、「このとおり、私たちは自分の物を捨てて、あなたに従っていまいりました」と言った。イエスは言われた。「よくよく言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者は誰でも、この世でその何倍もの報いを受ける。」(ルカ18:28~30)

今日の旧約聖書の御言葉は、主なる神さまがヤコブにおっしゃった言葉です。ヤコブはイサクの子、アブラハムの孫です。父や祖父と出会い、カナンの地を与えると神が約束してくださった神さま。ヤコブ自身も神と出会い、神と共に生きてきました。神の約束を信じて。そのヤコブが思わぬことに約束の地、カナンの地を離れることになります。そこにいたる物語は創世記後半の長い話の最後の結論なので、ここで繰り返すことはできません。ただ一つ確かなことは、ヤコブにとっては思ってもみなかったことであり、恐らく大きな戸惑いがあったに違いない、ということです。アブラハムやイサクに、そしてヤコブ自身に出会ってくださった神が与えると約束してくださった地を離れるのですから。
このヤコブの出来事は、私たち信仰者が旅人だということを本当に鮮やかに示していると思います。私たちは旅人であって、この世では寄留者です。例え神が約束してくださった地であったとしても、一時的に離れ、手放さなければならないときが来るのです。しかしそれで神の約束が無効になったわけではない。私たちには今ここしか見えませんから、不安が生まれますし、神さまの御心が分からなくなることもありますし、自分の旅路について「これでいいのか」と自信が持てないこともいくらでもあります。しかし、私たちはその時その時神に真心から従うしかないのだと思います。物や人間にしがみつくのではなく、ただ神を信じ、キリストの後に従って生きていく。それが私たちの旅人としての信仰生活なのではないでしょうか。
今日も、あなたの信仰の歩みに祝福がありますように。

2025年7月2日の聖句

主は高くおられ、低くされた者を顧みる。遠くから、高慢な者を見抜かれる。(詩編138:6) (ある金持ちの言葉)「魂よ、この先何年もの蓄えができたぞ。さあ安心して、食べて飲んで楽しめ。」しかし、神はその人に言われた。「愚かな者よ、今夜、お前の魂は取り上げられる。お前が用意したものは...