2025年6月5日木曜日

2025年6月5日の聖句

悪しき者に神は言われる。
「何のために、あなたは私の掟を数え上げ、
私の契約を口にするのか。」(詩編50:16~17)
「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。天におられる私の父の御心を行う者が入るのである。」(マタイ7:21)

神が見ておられるのは、私たちが口先で何を言うかとか、どんな知識があるのか、というようなことではないと主は言われます。私たちが何をしているのか?私たちが天におられる主イエスご自身の父の御心を行っているのか?神はそのことをご覧になっている。主イエスはそう言われます。
憐れみ深いサマリア人のたとえ話を思い出します。祭司やレビ人は、聖書のことやそこに書かれている律法についてはよく知っていました。しかし、半殺しの目に遭って道端に瀕死で倒れている人を見ても何もしませんでした。ところがサマリア人はそうではなかった。倒れている人を見て憐れみに心を震わせ、この人のところへ行って治療し、町へ連れて行って看病しました。治療費もサマリア人が払いました。この人はユダヤ人からは差別され、聖書のこともちゃんとわきまえていないと見なされていましたが、神の御心に実際に生きた人でした。主は私たちに、行って同じようにしなさい、とおっしゃいます。私たちも父の御心に実際に生きるようにと送り出しておられます。
主は問うておられます。「何のために、あなたは私の掟を数え上げ、私の契約を口にするのか。」私に従うためではないのか、と主は言われるのです。神の御心に従うために、あなたは御言葉を口にしているのではないのか、と。主イエスご自身が、今日私たちにそう問うておられます。

2025年6月14日の聖句

女が見ると、その木は食べるに良く、目には美しく、また、賢くなるというその木は好ましく思われた。(創世記3:6) 世も、世の欲も、過ぎ去ります。しかし、神の御心を行う者は、永遠にとどまります。(1ヨハネ2:17) 蛇が女を唆した言葉は、これです。「いや、決して死ぬことはない。それを...