2025年6月7日土曜日

2025年6月7日の聖句

主よ。あなたの御手には勢いと力があり、あなたに立ちはだかる者は誰もいません。(歴代誌下20:6)
彼らはイエスをナザレの外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。(ルカ4:29~30)

主イエス・キリストは会堂で聖書の御言葉を朗読なさいました。「主の恵みの年を告げる」という聖書の御言葉は今日実現した。キリストがそう宣言なさった。ところがその話を聞いたある人々は憤慨しました。そして「彼らはイエスをナザレの外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした」のです。
キリストに立ち向かうのは、主の恵みの年を宣言するキリストの御言葉に抵抗しようとする私たちの罪に根ざす思いです。この心がキリストを崖から突き落とそうとし、最後には十字架にまでつけてしまった。ところが、不思議なことが起こりました。「しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。」聖書はそう伝えています。不思議です。怒り狂ってイエスを崖から突き落とそうとする人々の間をすり抜けて行くことなんて、普通はできません。逃がすはずがない。ところが主イエスはそこを立ち去って行かれた。まさに「主よ。あなたの御手には勢いと力があり、あなたに立ちはだかる者は誰もいません」と書かれているとおりです。
私たちの怒りや憎しみ、神への殺意がイエスを十字架につけました。しかし主イエスの歩みがそこで挫折するようなことはありませんでした。キリストは私たちの怒りをすり抜けて復活の命に甦られたのです。私たちの憎しみも怒りもキリストの愛に立ちはだかり、それを押しとどめることはできなかった。私たちの怒りよりもキリストの愛の方がずっとしたたかです。しなやかに強いのです。キリストは私たちの憎しみの間をすり抜けて福音を宣言し続けておられます。
このキリストの福音宣言が今日も私たちの間に響いています。主の恵みの年はもう実現しました。私たちを救う神の御業は既に完成しています。あなたにもこれを信じてほしいとキリストが呼びかけておられます。

2025年6月14日の聖句

女が見ると、その木は食べるに良く、目には美しく、また、賢くなるというその木は好ましく思われた。(創世記3:6) 世も、世の欲も、過ぎ去ります。しかし、神の御心を行う者は、永遠にとどまります。(1ヨハネ2:17) 蛇が女を唆した言葉は、これです。「いや、決して死ぬことはない。それを...