2025年7月23日水曜日

2025年7月23日の聖句

私を広いところに導き出した。
私を助け出し、喜びとしてくださる。(詩編18:20)
神の恵みによって、今の私があるのです。そして、私に与えられた神の恵みは無駄ではありませんでした。(1コリント15:10)

「神の恵みによって、今の私があるのです」というのは、一人パウロだけの言葉ではなく、キリストを信じるすべての人の告白です。
今日の新約聖書の御言葉の直前で、パウロは「私は、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中では最も小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です」と言っています。キリストを憎み、キリストを信じる者を憎んできた自分。神の教会を迫害してきた私。そんな自分の罪深さは償いようがなく、また、使徒と呼ばれる値打ちなんて自分にあるとは到底言うことができない。しかし、そんな私が今こうしてあることができるのは、神の恵みによる以外には理由がない。パウロはそう告白します。
私たちも同じです。私たちもかつては罪や憎しみ、悪の力の虜でした。しかしキリストが解き放ってくださった。新しくしてくださった。「神の恵みによって、今の私があるのです。」
こういう言葉を目にすると「いやいや、私はまだ罪の虜のままです」と言って否定したくなるかもしれません。ところがパウロは続けて書いています。「そして、私に与えられた神の恵みは無駄ではありませんでした。」パウロは神の恵みによって与えられた新しい人生を、神のために献げました。それは、パウロが完全無欠の立派な人になったという意味ではないと思います。失敗することだってあったはずです。しかしそのたびに神のもとに立ち返り、新しい命に生かされているという事実から始めなおしたのではないでしょうか。神の恵みによって、私は生かされている。ただその事実だけを頼りに生きた。他には頼みがないのです。私たちはもはや自分を見ることを止めて、ご自分の恵みによって私たちを生かしてくださるキリストだけを見つめましょう。主イエスさまだけに目を向けましょう。私たちの至らなさを凌駕する圧倒的なキリストの恵みが、私たちを覆っているのです。

2025年9月12日の聖句

突然の恐怖にも、おののくことはない。 主があなたの傍らにおられる。(箴言3:25,26) 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声を上げた。イエスはすぐに彼らに声をかけ、「安心しなさい。私だ。恐れることはない」と言われた。(...