2025年8月22日金曜日

2025年8月22日の聖句

今、主への畏れがあなたがたの上にあるように。気をつけて行いなさい。私たちの神、主には不正も、偏り見ることも、賄賂を取ることもない。(歴代誌下19:7)
主に喜ばれるものが何かを吟味しなさい。(エフェソ5:10)

人を偏り見る。これほど私たちにとって身近な罪が他にあるだろうか、と思います。世間で立場のある人、「偉い人」と目されるような人、重んじられている人を前にしたとき、本当にごく自然と緊張したり、丁寧な態度になったりします。それ自体は良いのかもしれませんが、問題は、世間で軽んじられている人や自分よりも目下の相手(と思っている人)などを前にしたとき、いつの間にか自分も相手を軽く扱ったり丁寧でなくなったりしているのではないか。この人であればそれほど丁寧でなくても良いと思ってしまっているのではないか。そのように自分に問いかけてみると…私はとても苦しくなります。
新約聖書のヤコブの手紙にこのような言葉があります。「あなたがたの集会に、金の指輪をはめ、きらびやかな服を着た人が入って来、また、汚れた服を着た貧しい人が入って来たとします。きらびやかな服を着た人に目を留めて、『どうぞ、あなたはこちらにお座りください』と言い、貧しい人には、『あなたは、立っているか、そちらで私の足元に座るかしていなさい』と言うなら、あなたがたは、自分たちの中で差別をし、悪い考えに基づきて裁く者になったのではありませんか。」
主がお喜びになるのは、どのようなあり方なのでしょうか。主は不正をなさらず、人を偏り見ることも、賄賂を取って裁きを曲げることもなさいません。主を畏れ、主の御前に恥じるべきことをせず、主に喜んで頂ける私でありたいと願います。その道は果てしなく遠いとしか思えませんが、主の憐れみを求め、十字架にかけられた主イエスさまを見つめて生きていきたいと願います。

2025年11月2日の聖句

今週の聖句: 何が善で主は何を求めておられるか。公正と慈しみを愛し 行って、謙遜に神と共に歩むことである。(ミカ6:8) 今日の聖句: 多くの国民が主に連なり、私の民となる。(ゼカリヤ2:15) 神が人と共に住み、人は神の民となる。神自ら人と共にいて、その神となる。(黙示録21:...