どうかまず主の言葉を伺ってみてください。(歴代誌下18:4)
(イエスの言葉)私があなたがたに話した言葉は霊であり、命である。(ヨハネ6:63)
主の言葉。これこそ、私たちの信仰の基です。主の言葉からすべては始まる。聖書は私たちにイエス・キリストを証言します。キリストこそ、人となった神の言葉。キリストにおいて、神は私たちに語りかけ、ご自身の御心を示してくださいました。「どうかまず主の言葉を伺ってみてください。」そう、私たちは何よりも先ず、キリストに耳を傾け、へりくだってこのお方の御言葉に聞き、従います。自分の自己実現のためとか、自分が認められることではなく、キリストに従うことを私たちは願いたい。
主イエスは言われます。「私があなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」キリストの言葉は、霊の言葉だとおっしゃいます。霊の言葉とはどういう意味でしょうか。その意味を考えるために、反対を考えてみます。「霊の言葉」の反対は「肉の言葉」ということになると思います。肉というのは、私たちの人間としての思いです。それこそ自己実現だとか認められたいだとか、そういうことでしょう。私たちの中から生まれてくる言葉からは、「十字架」が答であるような問いは生まれてきません。「主に従うこと」が答えであるような言葉は、私たちの肉からは生まれてこないのです。そうであるからこそ、私たちはまず霊の言葉である主の言葉に耳を傾けなければならない。霊の言葉は、十字架にかけられたキリストに従うことを私たちに教えます。へりくだった神の子こそ救い主と私たちに証言します。キリストの言葉こそ、私たちの命の言葉です。
主の言葉に耳を傾けましょう。私たちに神の思いを現してくださるキリストに従いましょう。主の言葉に聞き、従うところに私たちのキリスト者としての命があるのです。
(イエスの言葉)私があなたがたに話した言葉は霊であり、命である。(ヨハネ6:63)
主の言葉。これこそ、私たちの信仰の基です。主の言葉からすべては始まる。聖書は私たちにイエス・キリストを証言します。キリストこそ、人となった神の言葉。キリストにおいて、神は私たちに語りかけ、ご自身の御心を示してくださいました。「どうかまず主の言葉を伺ってみてください。」そう、私たちは何よりも先ず、キリストに耳を傾け、へりくだってこのお方の御言葉に聞き、従います。自分の自己実現のためとか、自分が認められることではなく、キリストに従うことを私たちは願いたい。
主イエスは言われます。「私があなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」キリストの言葉は、霊の言葉だとおっしゃいます。霊の言葉とはどういう意味でしょうか。その意味を考えるために、反対を考えてみます。「霊の言葉」の反対は「肉の言葉」ということになると思います。肉というのは、私たちの人間としての思いです。それこそ自己実現だとか認められたいだとか、そういうことでしょう。私たちの中から生まれてくる言葉からは、「十字架」が答であるような問いは生まれてきません。「主に従うこと」が答えであるような言葉は、私たちの肉からは生まれてこないのです。そうであるからこそ、私たちはまず霊の言葉である主の言葉に耳を傾けなければならない。霊の言葉は、十字架にかけられたキリストに従うことを私たちに教えます。へりくだった神の子こそ救い主と私たちに証言します。キリストの言葉こそ、私たちの命の言葉です。
主の言葉に耳を傾けましょう。私たちに神の思いを現してくださるキリストに従いましょう。主の言葉に聞き、従うところに私たちのキリスト者としての命があるのです。