2025年8月7日木曜日

2025年8月7日の聖句

あなたがたは多くの収穫を期待したが
それは僅かであった。
あなたがた家へ持ち帰ると
私はそれを吹き飛ばした。
それはなぜなのかーー主の仰せ。
それは、私の神殿が廃墟のままであるのに
あなたがたが、それぞれ自分の家のために走り回っているからだ。(ハガイ書1:9)
あなたがたファリサイ派の人々に災いあれ。あなたがたは、ミント、コヘンルーダ、あらゆる野菜の十分の一は献げるが、公正と神への愛をおろそかにしている。これこそ行うべきことである。もっとも、十分の一の献げ物のもなおざりにはできないが。(ルカ11:42)

ハガイ書はバビロン捕囚から解放された後の時代の預言書です。エルサレムは70年ほど前の戦争で破壊され、信仰の中心である神殿も破壊されたままになっていました。捕囚から解放された帰還民が取り組んだ仕事がエルサレムの外壁の再建、そして神殿の再建でした。預言者ハガイが活動した時代はまだその最初期で、神殿再建もままならなかったようです。遠い捕囚地から帰還した人々はまだ自分たちの住まいや生活に精一杯で、神殿をどうすることもできないままでいた。そのようなときに「私の神殿が廃墟のままであるのに、あなたがたが、それぞれ自分の家のために走り回っている」と指摘された、ということになります。
これを読んで、考えさせられます。自分がどんなに言い訳の名人であるかを。まだ自分の生活もままならないから。まだ状況が好転していないから。まだ○○だから・・・と、永遠にできない理由を並べることができます。しかしそれは違うのではないか、と主は問いかけておられます。
今日の新約は、私たちのささげ物が形ばかりを整えるものに過ぎず、生き方が自分勝手なものであることに目を向けようともしない、と主イエスが指摘しておられます。公正と神への愛をおろそかにしておいて、神に心からのささげ物をすることなどできないはずだ、と言われるのです。ここでもやはり、言い訳の問題なのだと思います。献金しているから、ということを言い訳にして、自分の生き方が変えられることを拒んでしまう。とても偽善的ですが、それを許容できてしまう私たちのあり方を主は問うておられます。
私たちはどのように主に従い、主を信じて生きていくのでしょうか。真実な信仰に生きるために、聖霊の助けを真心から求めたい、と願います。

2025年11月2日の聖句

今週の聖句: 何が善で主は何を求めておられるか。公正と慈しみを愛し 行って、謙遜に神と共に歩むことである。(ミカ6:8) 今日の聖句: 多くの国民が主に連なり、私の民となる。(ゼカリヤ2:15) 神が人と共に住み、人は神の民となる。神自ら人と共にいて、その神となる。(黙示録21:...