2025年9月17日水曜日

2025年9月17日の聖句

私が、「もう主を主を思い起こさない
その名によって語らない」と思っても
主の言葉は私の心の中
骨の中に閉じ込められて
燃える火のようになります。(エレミヤ20:9)
同時に、私たちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、私たちがキリストの秘儀を語ることができますように。私は、このために牢につながれているのです。(コロサイ4:3)

預言者エレミヤは、神さまと民との間に立って苦しみ抜いた人物です。神に「語れ」と言われ、人々に神に立ち帰るように語りかける。ところが誰もそれを聞こうとしません。誰も耳を貸さず、却って迫害される。それならば、もう主を思い起こすことは止めよう。もう主の名によって何一つ語らないようにしよう。そう考えても無理からぬことです。ところが神の言葉がエレミヤの骨の中で燃える火のようにエレミヤを苦しめる。もう語るまい、もう押しとどめよう。そう思っていた神の言葉がエレミヤの中でエレミヤを焼き尽くそうとしている。語らないわけにはいかなくなってしまう・・・。エレミヤはそうやって苦しみ続けた人です。
預言者エレミヤの苦しみは、聖書の中でもある特別な位置をもっていると思います。主イエスさまの苦しみに連なる苦しみと言っては言いすぎでしょうか。私は、そう言えるのではないかと思います。
使徒パウロも同じ神の言葉を語る務めに生きた人物です。福音を語ったために牢にとらえられ、鞭で打たれました。しかし、「神が御言葉のために門を開いてくださり、私たちがキリストの秘儀を語ることができますように」とパウロは祈ります。
現代の教会でも、御言葉を語る務めを与えられている者たちがその働きにしっかりと仕え、御言葉を大胆に、福音を余すところなく語ることができますように、どうか祈ってください。

2025年9月17日の聖句

私が、「もう主を主を思い起こさない その名によって語らない」と思っても 主の言葉は私の心の中 骨の中に閉じ込められて 燃える火のようになります。(エレミヤ20:9) 同時に、私たちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、私たちがキリストの秘儀を語ることがで...