2025年9月28日日曜日

2025年9月28日の聖句

今週の聖句:
一切の思い煩いを神にお任せしなさい。神が心にかけていてくださるからです。(1ペトロ5:7)

今日の聖句:
主は寄留の者を守る。みなしごややもめを支える。(詩編146:9)
旅人をもてなすことを忘れてはなりません。そうすることで、ある人たちは、気付かずに天使たちをもてなしました。(ヘブライ13:2)

「旅人」と今日の新約聖書に書かれています。旅人というのは、要するによそ者のことではないでしょうか。旧約にも「寄留者」とあります。寄留者こそまさに、外国から来て一時的に寄留している人という意味ですから、社会のよそ者です。その人たちのことを忘れてはならない、もてなしなさい、と神さまは私たちにおっしゃっています。
これははっきりと、今の私たちの社会を覆っている時代精神と戦う言葉であると私は思っています。「よそ者」に対して時々刻々と冷淡な社会になっています。本当に排外的な社会になってしまいました。自分たちに余裕があるときには優しくできたり、相手が役に立つと思えば喜んだりしますが、そうでなくなると途端に憎しみが顕わになります。これまで親切に受け入れてあげようと思っていた人が当然のような顔をしたり、日本の文化を蔑ろにしているように見えたり、こちらの親切につけあがるような言動が見られたり。そのようなことを言いながら、排除の空気が社会に育っているように思います。
聖書が寄留者の権利に敏感なのは、イスラエルがかつてはエジプトで寄留者であり、最初のキリスト者たちが寄留者ばかりであったことと無関係ではないと思います。私たちの信仰は安定ではなく、寄る辺なく弱い者の信仰です。思えば、主イエスは旅の途中の母が飼い葉桶に産んだ子です。主ご自身が旅人でいらしたのです。
旅人を受け入れ、よそ者を愛し、共に生きる。私たちはそうやって神をお迎えします。私たちの常識や当たり前の外から来られる方をお迎えするのです。

2025年10月3日の聖句

私たちが聞いたことを、誰が信じただろうか。 主の腕は、誰に示されただろうか。(イザヤ53:1) マグダラのマリアは弟子たちのところに行って、「私は主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。(ヨハネ20:18) 今日の旧約の御言葉は、イザヤ書第53章が伝える「苦難の僕...