2025年11月24日月曜日

2025年11月24日の聖句

(ネブカドネツァル王の言葉)「いと高き神が私になさったしるしと奇跡を知らせることは、私の喜びである。」(ダニエル3:32)
(イエスの言葉)「私に逆らわない者は、私たちの味方なのである。」(マルコ9:40)

ネブカドネツァルはバビロンの王です。つまり、神の民ユダを攻め滅ぼし、人々を遠い東のバビロンへ捕囚として連れ去った仇中の仇のような人物です。その人が言うのです。「いと高き神が私になさったしるしと奇跡を知らせることは、私の喜びである。」ここにどれだけの信仰があるのか、どういう内実があるのか。私たちには分かりません。この人は、実際には高さ2.7メートルにも及ぶ自分の金の像を造り、人々にそれを拝ませた人物です。ところが同時に、この人はダニエルという一人の信仰者を信頼し、ダニエルが信じる神を畏れていました。私たちの周りにも、案外、こういう人はいるのではないか、とも思います。
主イエス・キリストはおっしゃいます。「私に逆らわない者は、私たちの味方なのである。」ここで注目すべきは、「私に」逆らわない者は、「私たちの」味方なのであるとおっしゃっているところだと思います。最初の「私」は単数なので主イエスさま御自身ですが、次の「私たち」は複数ですから、弟子たちの群れのことを指していると言えると思います。主イエスに逆らわない者は、私たち=主の弟子たちの味方。ところが私たちの普通の感覚では逆で、私たちに逆らわない者は主イエスの味方だ、と思ってしまいがちです。ところが主は、そうではないと言われるのです。
先ほどのネブカドネツァルもそうだと思います。神の民から見れば極悪非道の異郷の王ですが、「いと高き神が私になさったしるしと奇跡を知らせることは、私の喜びである」と言っている言葉を神はお忘れにならないのでしょう。この王をも神はお用いになる。そうである以上、この人もまた「私たちの味方である」と主はおっしゃるのではないでしょうか。神さまの懐は私たちの想像以上に深く、広い。その事実は私たちの畏れを呼び起こします。

2026年3月3日の聖句

イスラエルの人々は主に向かって叫び、言った。「私たちはあなたに対して罪を犯しました。私たちの神を捨てたのですから。」(士師記10:10) (洗礼者ヨハネの言葉)「悔い改めよ。天の国は近づいた。」(マタイ3:2) 洗礼者ヨハネが「天の国は近づいた」と言っています。たいへんな言葉です...