私は言った。
「舌で罪を犯さないように、私の道を守ろう」。(詩編39:2)
同じ口から、賛美と呪いが出て来るのです。私のきょうだいたち、このようなことがあってはなりません。(ヤコブ3:10)
なんと痛い言葉なのでしょうか。舌の犯す罪。同じ口から、賛美と呪いが出て来る。何度この罪を犯してきたことか。目を上げることのできない現実に取り囲まれています。まさに、舌は疲れを知らない悪です。
今日の詩編は、舌で罪を犯さぬために「私の道を守ろう」と言っています。どうやって自分の道を守るのか。さらに続けて読むと、「悪しき者が私の前にいるうちは、口にくつわをはめておこう」と言います。目の前にいる悪しき者についカッとして、あるいはつられて、口から罪深い言葉が出て来る。しかしそれは悪しき者の責任ではない。自分の心の中にもともとあったものです。自分の中にあるから、何かのきっかけで飛び出してくるのです。この罪から逃れるための道は、自分の口にくつわをはめてしゃべらないこと。黙り込み、口を閉ざすしかない。そのように言います。
ところがこの詩編が本当に人の心をよく知っていると思うのは、さらにその続きがあるところです。そうやって口を閉ざして、良いことも悪いことも何も話さないようにしたら、それは自分にとって苦痛であった、と言うのです。「私のうちで心が熱くたぎった。私の呻きで火は燃え上がり、私の舌で私は語った。」もう何も口にするまい、舌の罪を遠ざけようと思って口を閉ざしても、それには限界があった。不可能だった。そう言います。
そうなのです。私たちにはどうすることもできない、疲れを知らない悪。私たちの存在の根源に根ざしている罪です。だからこそ、私たちにはキリストに助けを求めるより他ないのです。
私たちの思いと言葉、行いと怠惰による罪を赦し、私たちを解放することがおできになる方に、憐れみを求めます。
「舌で罪を犯さないように、私の道を守ろう」。(詩編39:2)
同じ口から、賛美と呪いが出て来るのです。私のきょうだいたち、このようなことがあってはなりません。(ヤコブ3:10)
なんと痛い言葉なのでしょうか。舌の犯す罪。同じ口から、賛美と呪いが出て来る。何度この罪を犯してきたことか。目を上げることのできない現実に取り囲まれています。まさに、舌は疲れを知らない悪です。
今日の詩編は、舌で罪を犯さぬために「私の道を守ろう」と言っています。どうやって自分の道を守るのか。さらに続けて読むと、「悪しき者が私の前にいるうちは、口にくつわをはめておこう」と言います。目の前にいる悪しき者についカッとして、あるいはつられて、口から罪深い言葉が出て来る。しかしそれは悪しき者の責任ではない。自分の心の中にもともとあったものです。自分の中にあるから、何かのきっかけで飛び出してくるのです。この罪から逃れるための道は、自分の口にくつわをはめてしゃべらないこと。黙り込み、口を閉ざすしかない。そのように言います。
ところがこの詩編が本当に人の心をよく知っていると思うのは、さらにその続きがあるところです。そうやって口を閉ざして、良いことも悪いことも何も話さないようにしたら、それは自分にとって苦痛であった、と言うのです。「私のうちで心が熱くたぎった。私の呻きで火は燃え上がり、私の舌で私は語った。」もう何も口にするまい、舌の罪を遠ざけようと思って口を閉ざしても、それには限界があった。不可能だった。そう言います。
そうなのです。私たちにはどうすることもできない、疲れを知らない悪。私たちの存在の根源に根ざしている罪です。だからこそ、私たちにはキリストに助けを求めるより他ないのです。
私たちの思いと言葉、行いと怠惰による罪を赦し、私たちを解放することがおできになる方に、憐れみを求めます。