(私訳)
49 思い起こしてください 言葉を あなたの僕への
上に それの あなたが私に望んだところの
50 これが 私の慰め 私の苦しみにおける
なぜなら あなたの仰せは 私を生き返らせた
51 尊大な者らは 私を嘲笑う ひどく
あなたの律法から ない 私は傾けた
52 私は思い起こした あなたの裁きを 古くから 主よ そして私は自分を慰めた
53 熱さは 私をとらえた 悪い者たちから
離れている あなたの律法を
54 歌は だった 私に あなたの掟 家において 私の滞在
55 私は思い起こした 夜において あなたの名前を 主よ
そして私は保った あなたの律法を
56 それは あった 私に
なぜなら あなたの命令を 私は守った
この詩編の構成
この詩編は三つの段落に分けられ、それら全てに「動詞ザーカル(思い起こす)」が登場する。49から50節は全体の導入かつ主題提示部であり、その後は三節ずつに分けられ、それぞれの軸にザーカルが配置されているのである。
導入(49から50節)
ここだけザーカルが命令形である。「あなたの僕への御言葉を思い起こしてください」と祈る。この言葉は私にとっての望みとなるように神がしてくださったものであり、これは私の苦しみにおける慰めである。主の仰せによって生き返ったからだ。ここは全体への主題提示である。また、「望む」は動詞の強意形で、強い望みを表している。神が強く望んでくださったことが既に慰めなのだ。
第Ⅰ段落(51から53節)
50節の「慰め」を引き継いで、それがどのようなときの慰めかに言及する。52節を軸として、51節と53節でそれに触れている。尊大な者や悪い者が詩編作者の近くにいる。それに対して主の言葉は遠く感じるのだろう。だから「思い起こす」と言う。彼らは私を嘲笑い、主の律法から離れている。しかし、私はそうではない。彼らへの怒りをさえいだく。律法への態度が異なるのだ。作者は主の裁きを思い越す。そして、慰めを頂いたのだ。
第Ⅱ段落(54から56節)
まず、枠を形成する54、56節はⅠの枠とは対照的に「私」の在り方を述べる。私にとって主の掟は歌であり、主の命令を守って、律法を保つ。詩編作者は「主(YHWH)」というお名前を思い起こした。自分の周りにいる尊大な敵のあざ笑いは厳しいものであっただろう。しかし、作者は主の言葉を思い起こし、そこに慰めを得、主のお名前を呼ぶ歌に生きた。それは滞在地の家での夜の出来事である。とても不安定な場所だ。しかし、そういう場所でなお作者は主の律法を歌として保ち、守るのである。慰めをもたらしたのだ。
祈りのために
「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。(使徒16・25)」彼らはイエスの名によって福音を語り病をいやしたかどで捕らえられ、衣服をはぎ取られ鞭打たれて投獄された。その牢の闇夜に歌った。その声は他の囚人にも響き、看守にまでも福音が届いた。主を呼び、主の言葉を慰めとする者の歌が、である。