キリストは憐れみ深いお方です。憐れんで罪人を招かれます。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」大変な言葉です。よりにもよってわざわざ罪人を招くために来られたとおっしゃるのです。旧約聖書の言葉を引きながら、「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」とも言われます。これは預言者ホセアが告げた神の言葉です。ホセアは神からゴメルという姦淫の女をめとれと命じられて妻に迎えました。しかし彼女は繰り返し夫を裏切り、ホセアは苦しみます。そして、繰り返し妻に裏切られる夫の立場になってみて、人々に繰り返し裏切られる神の御心を知りました。罪人を招くために来たと主イエスはおっしゃいます。「罪人」というのは、最悪の人のことです。私はその罪人を憐れむと言われます。自分にだって正しいところがあるという盲信が、神の前に何の役に立つのでしょう。神の御前に恥じ入るべき罪人であることを、悔い改めるより他ないのです。改革者ルターは罪を犯し立ち直れなくなった友のために手紙を書きました。罪人を招いてくださるキリストに従おうと招きます。「どうぞ、私ども、とんでもない罪人たち、頑迷固陋な罪人の仲間入りをしてください。そのようにして、キリストを、絵空事の、子どもっぽい罪からしか救い出すことができないような小さな、頼りない存在にしてしまわないようにしてください。そうです、それはとんでもないことです。そんなことをすれば、私どもの益になりません。そうではなくて、キリストは神から救い主として私どものところに遣わされた方です。キリストだけが救い得る方です。まさしく、とんでもない大きな罪、重い、呪われるべき違反、罪業から救い得る方です。最大、最悪の、要するに、地上の罪すべてを犯した者をも救い得る方です。私もかつて、あなたとそっくりに、癒しを必要とする状況にあり、同じ試練のなかでありました。シュタウピッツ博士が慰め深く私に語りかけてくださらなかったら、このあまりの苦悩と悲しみに死んだのではないかとさえ思います。こう語ってくださったのです。『ああ、あなたは絵空事のまさに絵に描いたような罪人になりたがっておられる。だからこそ、絵空事の、まさに絵に描いたような救い主だけを得ようとしておられる。正しい真実の事柄のなかに身を置いていただきたい。そしてそのことに習熟していただきたい。キリストはあなたの真実の救い主、あなたは真実の、大いなる、呪われるべき罪人であることに習熟していただきたい。神がみ子を送ってくださり、私どものために献げていてくださっているのに、神を軽んじ、絵空事を抱えてうろうろとしないでいただきたい』」。この教会はキリストの憐れみで罪を赦された物乞いたちの群れです。
2024年12月29日の聖句
今週の聖句: 私たちは栄光を見た。父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。(ヨハネ1:14b) 今日の聖句: 小鳥さえも住みかを見つけ、つばめも巣をかけて、雛を育てています。万軍の主、わが王、わが神よ。(詩編84:4) 狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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神によって私たちは力を振るいます。(詩編60:14) きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。(ローマ12:1) 今日の二つの御言葉がいっしょに掲げられているというのは本当に面白いなと思います。神によっ...
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仲間に向かって平和を口にするが心には悪意を抱いている「神に逆らう者」いる。しかし、私は主を呼び求めます、と告白する。「至聖所に向かって手を上げ、あなたに救いを求めて叫びます。」新約の信仰に生きる者にとって、この至聖所はキリストがおられる「恵みの座」であり、我らは大胆にもそこに近...