七つの「悔い改めの詩編」の一つである。言葉も出ないほどに呻き、苦しんでいる。神の御手が重い。夏の日照りの厳しさを通してその重さを知る。そのときに、詩編作者は「主に私の背きを告白しよう」と言った。ホーソーンの『緋文字』は罪を告白した女と隠し通そうとした男の物語である。告白しようとしなかった者はその圧迫に耐えられなかった。罪の告白は実は幸いなのだ。その分別は主の慈しみ生かされている事実を気づかせる。
2025年11月9日の聖句
今週の聖句: 平和を造る人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:9) 今日の聖句: あなたがたは気をつけて、あなたがたの神、主があなたがたと結ばれた契約を忘れず、あなたの神、主が禁じられたいかなる形の彫像も、自分のために造らないようにしなさい。(申命記4:2...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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(主の言葉)恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。(創世記15:1) こうして、アブラハムは忍耐の末に、約束のものを得ました。(ヘブライ6:15) 「恐れるな。」神さまは私たちに語りかけてくださいます。「恐れるな!」 しかも、もったいないこ...