神の憐れみ、祝福、み顔の輝きを求める。それは「御救いをすべての民が知るため」である。私たちキリスト者が切望するのはこの一事である。私たちが愛する者、しかもまだキリストと出会っていない人に知ってほしいのは、神の救いをもたらす福音。神の愛を共に喜び、キリストを喜び、共に礼拝したい。なかなか叶わない。じれる思いが募る。だからこそ、祈らずにはいられない。「神よ、すべての民が、あなたに感謝をささげますように。」
2025年4月13日の聖句
今週の聖句: 人の子も上げられねばならないそれは、信じる者が皆、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3:14b,15) 今日の聖句:あなたがたの誰も、同胞に損失を与えてはならない。あなたの神を畏れなさい。(レビ25:17) キリスト・イエスにある交わりにふさわしいように、あなたがた...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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仲間に向かって平和を口にするが心には悪意を抱いている「神に逆らう者」いる。しかし、私は主を呼び求めます、と告白する。「至聖所に向かって手を上げ、あなたに救いを求めて叫びます。」新約の信仰に生きる者にとって、この至聖所はキリストがおられる「恵みの座」であり、我らは大胆にもそこに近...
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これほど深い絶望の言葉があるのか。神に見捨てられた。しかも「わたしの神」と呼ぶ方に。昨日までは親しい思いを抱いていたのか。今なお愛を込めて呼ぼうとしているのか。神は応えてくださらない。「主に頼んで救ってもらうがよい」などと誰に言われずとも自分が一番願っている。しかし、助けは来な...