「わたしが若いときから、彼らはわたしを苦しめてきた」と二度も繰り返す。わたしたちにも、そういう「彼ら」がいる。誰にでもいる。しかし、この詩編作者は言う。「彼らはわたしを圧倒できなかった」と。苦しめる者を前にすると、私たちの目にはその人のことしか映らなくなる。心も頭もいっぱいになる。しかし、主を見上げよう。「主は正しい」と、目を天に上げて祈ろう。「主に逆らう者の束縛を断ち切ってくださる」のはこの方なのだ。
2025年4月10日の聖句
勢いと力は御手にあり、その御手によってあらゆる者を大いなる者、力ある者となさいます。(歴代誌上29:12) 神の力強い御手の下でへりくだりなさい。そうすれば、しかるべき時に神はあなたがたを高くしてくださいます。(1ペトロ5:6) 神は人を高くし、また低くなさいます。私たちの浮世の...
-
さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
-
仲間に向かって平和を口にするが心には悪意を抱いている「神に逆らう者」いる。しかし、私は主を呼び求めます、と告白する。「至聖所に向かって手を上げ、あなたに救いを求めて叫びます。」新約の信仰に生きる者にとって、この至聖所はキリストがおられる「恵みの座」であり、我らは大胆にもそこに近...
-
これほど深い絶望の言葉があるのか。神に見捨てられた。しかも「わたしの神」と呼ぶ方に。昨日までは親しい思いを抱いていたのか。今なお愛を込めて呼ぼうとしているのか。神は応えてくださらない。「主に頼んで救ってもらうがよい」などと誰に言われずとも自分が一番願っている。しかし、助けは来な...