2018年12月13日木曜日

詩編第130編「どん底ででも祈ろう」

この詩編作者は、「深い淵の底から」主を呼んでいる。かつてそこにいて、今はもうそこから救われたから、というのではない。今、どん底にいるのだ。嘆きの中にいても、私たちは主に祈ることができるのだ。「わたしの魂は主に望みをおき」と、私たちも祈ろう。見張りが朝を待つにも増して、主を待ち望もう。慈しみも贖いも、主のもとにあるのだから。私たちは他の一体どこに救いを求めるというのか。この方以外のどこに救いがあろうか。

2025年7月2日の聖句

主は高くおられ、低くされた者を顧みる。遠くから、高慢な者を見抜かれる。(詩編138:6) (ある金持ちの言葉)「魂よ、この先何年もの蓄えができたぞ。さあ安心して、食べて飲んで楽しめ。」しかし、神はその人に言われた。「愚かな者よ、今夜、お前の魂は取り上げられる。お前が用意したものは...