2019年1月27日日曜日

2019年1月27日(創世記43~44)

今日の通読箇所:マタイによる福音書21:23~46、創世記43~44、詩編32

創世記43~44;
ついにベニヤミンがヨセフの所へ連れてこられました。兄弟たち、特にユダが父を説得しました。この要求を承知したときのヤコブの言葉が、いかにも彼らしいと思いました。「この地の名産を入れ物に入れて、その方への贈り物として携え、下って生きなさい。少しばかりの香油と蜜、樹脂とシスタス香、ピスタチオとアーモンドなどだ。また、二倍の銀を持って行きなさい。・・・(43:11-12)」かつて、兄エサウを怒らせ、久しぶりに家に帰ったときにも兄のための贈り物をたくさん用意して行きました。舅とも壮大な駆け引きを演じました。いかにもヤコブらしい戦略だと思います。
それに対して、ヨセフも策略を巡らしています。兄弟たちとパーティを楽しんだ後、彼らが帰るときに自分の銀の杯をベニヤミンの袋の中に忍ばせます。後から追いかけてそれを盗んだのは誰だと詰め寄り、持ち物をあらため、見つかったベニヤミンを自分の奴隷にすると言いました。そうやって彼を自分のものにしようとしたのです。これも、ヤコブの舅の守り神をラケルが盗み、荷物をあらためた出来事にそっくりです。ヨセフも父やその舅と同じ策略家でした。
これに対し、ユダは策略を巡らしたのではなく、自分の身を挺して事態を収拾しようとします。「今、私があなたの僕である父のところへ帰っても、この子が一緒でなければ、父の命はこの子の命にかかっていますから、この子がいないと分かれば、父は死んでしまうでしょう。(44:30)」「それでどうか僕をこのこの代わりに、ご主人様の僕としてここにとどめ置き、この子は兄弟と一緒に上らせてください。(44:33)」そして、明日の箇所になりますが、このユダの言葉によってヨセフの心がついに動かされることになります。
私たちはこれまでの物語の推移を見てきました。ユダはどういう人物だったのか?ヨセフを外国人に売り渡してしまおうと言ったのは、ユダです。嫁のタマルを干して辱め、遊女として彼女を買ったのもユダです。はっきり言って、すばらしい人格者ではありません。しかし、そういう一人の人の口を通して、打算や策略を超えた真実な人間の言葉が語られ、その言葉が出来事を動かしていく。不思議なことです。神様は、いろいろな口を通して私たちに語りかけておられるのかもしれません。先入観を持って決めつけずに、虚心坦懐に神様の語りかけに耳を傾けていきたいと思わされます。

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