2019年1月6日日曜日

2019年1月6日(創世記10~11)

今日の通読箇所:マタイによる福音書6:19-34、創世記10~11、詩編8

創世記10~11;
ノアの息子のセム、ハム、ヤフェト、そしてその中のセムの系図が創世記の第10章と第11章に続きます。それに挟まれるようにして、11:1-9にバベルの塔の話が登場しています。ここでのキーワードは「言語」です。「彼らは海沿いの植民が分かれて出て、それぞれ、その言語に従ってその土地に、その氏族に従ってその国々に分かれた。(10:5)」このように、セム、ハム、ヤフェトの子孫たちはそれぞれの言語に従って分かれていったと繰り返されています。
そんな時代の大きな事件が、バベルの塔の出来事でした。「全地は、一つの言語、同じ言葉であった。(11:1)」彼らは名を上げようと天まで届く塔と町を建てだします。それをご覧になった神様は、「彼らは皆、一つの民、一つの言語で、こうしたことを始めた(11:6)」といって、その言葉を混乱させた。それで彼らはその塔の建設をやめ、全地の面に散らされました。
この話を読んで、つくづく考えさせられます。私たちは、言葉が通じるからと言って、よいことを計画するわけではない、と。日本語と外国語だから通じないというだけではない。言葉は同質性の高いコミュニティの中でしか通じません。同じ言葉のようでも、別のコミュニティは別のルールで動いているからです。今、社会はお互いに言葉の通じないところでの罵詈雑言によって分断されています。トランプ大統領はその好例であるかもしれない。しかし、私たちが言葉の通じやすい身内で企てることが必ずしも素晴らしいことであるとは限らないのです。通じ合う言葉で企てていることが、外なるものへの憎悪と自分たちの名を高めることへの野心であったりしています。
ノアの子孫たちはそれぞれの言語に従って全地に分かれていきました。そういう異なる他者との対話が、今必要なように思います。別の言語、別の価値観、別の文化とのコミュニケーション。私たちは言葉が通じても通じなくても、混乱(バベル)の中に生きています。そんな世界に、セムの子孫からアブラハムが生まれてきました。神様がこの一人の人に語りかけ、ご自分の民にしてくださいました。人間の混乱の中で、神の御業は進んでいます。

2025年1月10日の聖句

(主の言葉)彼らが私を畏れ、私のすべての戒めを守る心をいつも自分の中に持ち続け、彼らもその子孫も、いつまでも幸せであるように。(申命記5:29) あなたがたに新しい戒めを与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。あなたがたの内に...