この人は、死の病に冒されていたのではないか。そう思わせる。「私の霊はなえ果て、心は胸の中で挫けます」。だからこそ、主なる神に救いを求めて祈るのだ。祈りは、主に向かう心を主が引き出してくださった賜物だ。「あなたに、わたしの魂は憧れているのです」。そう、この方こそ救いなのだから。私たちも、主に依り頼もう。墓穴にまで降ってくださったキリストに、救いを求めて祈ろう。この方に向かい、憧れる心を、主は決してお見捨てにならない。
2019年3月14日木曜日
2025年7月23日の聖句
私を広いところに導き出した。 私を助け出し、喜びとしてくださる。(詩編18:20) 神の恵みによって、今の私があるのです。そして、私に与えられた神の恵みは無駄ではありませんでした。(1コリント15:10) 「神の恵みによって、今の私があるのです」というのは、一人パウロだけの言葉で...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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神によって私たちは力を振るいます。(詩編60:14) きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。(ローマ12:1) 今日の二つの御言葉がいっしょに掲げられているというのは本当に面白いなと思います。神によっ...