2019年3月15日金曜日

2019年3月15日(民数記18〜19)

今日の通読箇所:ヘブライ人への手紙13、民数記18~19、詩編87

民数記18~19;
「イスラエルの人々に告げて、欠陥のない赤毛の雄牛、すなわち、傷がなくまだ軛を負ったことないものを、あなたのもとに引いてこさせなさい。あなたがたはそれを祭司エルアザルに渡し、宿営の外に引いてきて彼の前で屠る(19:2~3)」。そして、その牛は皮も肉も血も、汚物まで、すべて焼き尽くします。そしてその灰を集め、宿営の外の清いところで保管します。「それはイスラエル人の会衆のために、汚れを清める水を造るために保存される。これは罪を清めるためのものである(9節)」とされています。罪を清めるための牛が、宿営の外で屠られました。
今朝の新約聖書はヘブライ人への手紙第13章でした。このように書かれていました。「なぜなら、動物の血は、大祭司によって清めのいけにえとして聖所に運び入れられますが、その体は宿営の外で焼かれるからです。それで、イエスもまた、ご自分の血で民を聖なるものとするために、門の外で苦難を受けられたのです(11~12節)」。まさに民数記でいわれていたことを前提としながら、主イエス様が、町の外の丘の上で十字架に掛けられたことにいかなる意味があったのかということを言い表しました。それは、イエスの血によって、私たちが罪から清められたということだと言うのです。
受難節の一日を過ごしています。イエスが血を流して十字架に掛けられたことで、私の罪も清められた。そのことを、心に深く刻みたいと願います。自分で自分の罪を洗い清めることは、できません。自分で自分を清くすることができると思い込むから、偽善や傲慢な自分に足下をすくわれてしまうのかもしれません。しかし、私たちを清くすることがおできになるのは、ただキリストだけです。その事実が、私たちにとっては本当に大きな祝福なのではないでしょうか。

2026年10月28日の聖句

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