2019年3月25日月曜日

2019年3月25日(申命記1)

今日の通読箇所:マルコによる福音書6:1~29、申命記1、詩編100~101

申命記1;
申命記は、ヨルダン川を渡る前、モーセがイスラエルの人々に対して語った説教です。「モーセはヨルダン川の向こうにあるモアブの地で、この律法を説き明かし始めた(5節)」。その説教の言葉である申命記は、新しい時代に向かう者たちに語られた言葉でした。約束の地という神が与えてくださったすばらしいたまものを頂くにあたって、神に愛され、神を信じることで一つとされた民が注意を払うべき事を、ここで語り聞かせたのです。
私が注目したのは、次の言葉です。「おののいてはならない。恐れてはならない。あなたがたの神、主があなたがたの前を歩まれる。その方が、エジプトであなたがたの目の前で行ったように、この場所に来るまで、あなたがたが歩んでだすべての道のりを、人がその子を背負うように、あなたの神、主があなたを背負ってくださったのを、あなたは見た。しかし、あなたがたは、あなたがたの神、主を信じなかった。あなたがたに先立って、道を歩まれる方は、あなたがたのために宿営の場所を偵察し、夜は日、昼は雲によって、進むべき道を示されたのだ(29~33節)」。
私たちのこれまでの道は、これだとモーセは言います。主なる神様は、私たちを背負ってきてくださった。それなのに、私たちは恐れおののいき、この方を信頼してその導きに従うことを拒んでしまった。それでもなお、神様は、私たちを今日ここにまで運んできてくださった。
それは、私たちが毎週日曜日に、礼拝の時に罪を悔い改めて思い起こすことではないでしょうか。神様はいつも真実に私を背負っていてくださるのに、私はこの方を信頼し抜くことがなかった。それでもなお、今、神様の御前に私は立たせて頂いている。それが、礼拝のたびに私たちが確認する原点です。今日も、私たちはこの原点から出発します。

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