2019年3月5日火曜日

2019年3月5日(レビ記26〜27)

今日の通読箇所:ヘブライ人への手紙5、レビ記26~27、詩編75~76

レビ記26~27;
「ただし、誰かが自分の持ち物から主のものとして永久に奉納したものは、人であれ家畜であれ、また所有する畑であれ、決して売買することはできない。また買い戻すこともできない。それは最も聖なるもので、主のものである(27:28)」。
レビ記は、神様に献げるというのはどういうことなのかということが一つのテーマだったのではないかと思います。第一章から、献げ物の話をしていました。私たちが神様のものとして献げる物は、そもそも神様がお造りになった神様の所有物で、それをお返ししているということなのだろうと思います。
私たちの献げる献金も、同じではないでしょうか。私たちは自分の生活に必要な分の余り物を献金するのではなく、神様に献げる分をまずとっておいて、その余りで毎日の生活を営んでいます。
時間も、同じです。「私の安息日を守り、私の聖所を恐れなさい。私は主である(26:2)」。私たちは、日曜日を安息日として守っています。一週間の初めの日の朝、一番いい時間を神様に献げています。神様の聖所を恐れ、神の民の中に帰って神を礼拝しているのです。

レビ記に書かれているような規定を見ていくと、少しうんざりしてしまうかもしれません。とても覚えきれず、守っていくことが不可能としか思えない掟の数々。しかも、第26章ではこれらを蔑ろにする者への恐ろしい罰まで書かれています。
これらの掟は、私たちが、こういう形でしか私たち自身の罪に気づけないから、このように書かれているのだと思います。今、まことの大祭司でいてくださるイエス・キリストにあってレビ記を見たとき、私たちは、キリストの深い憐れみと赦しを見せて頂くのです。「この大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪は犯されなかったが、あらゆる点で同じように試練に遭われたのです。それゆえ、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜に適った助けを受けるために、堂々と恵みの座に近づこうではありませんか。この大祭司は、自分も弱さを身に負っているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです(ヘブライ4:15~16、5:2)」。

2026年3月27日の聖句

正義は命に 悪を追い求める者は死に至る。(箴言11:19) 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。(ガラテヤ6:8) 「正義」という言葉が今日の旧約の御言葉にあります。そこで、旧約聖書の事典を引いたところ、「義」についてこのように書...