今日の通読箇所:ヘブライ人への手紙8、民数記5~6、詩編79
民数記5~6;
第6章に「ナジル人」というものが登場します。これは、ある誓願を立てて自分自身を神にささげた人のことです。誓願を立ててナジル人となった期間は、「ぶどう酒と麦の酒を断ち、ぶどう酒の酢も麦の酒の酢も飲まず、どのようなぶどうの果汁も一切飲んではならない。ナジル人である期間は、ぶどうの木からできるものはすべて、種も皮も食べてはならない(3~4)」と定められています。生活のスタイルが変わります。
さらに、外面からも分かることは、その期間は頭の毛にカミソリを当ててはならず、伸ばしたままになります。もっと言えば、遺体に触ることも禁じられるので、家族の死体にも触ってはならないということになっています。
ナジル人としての誓願を立てた期間は、周りとは口にするものも見た目も、家族との接し方も変わります。少し特殊な生き方を求められると言ってよいと思います。
聖書の中を見てみると、何人かのナジル人が登場します。例えば師士記に登場するサムソンという人は、生まれながらのナジル人であったと言われています。彼は大変な怪力の持ち主でしたが、その力の源はナジル人であることですので、髪の毛にカミソリを当てると請願がたたれ、力が入らなくなってしまう、というエピソードも書かれています。
そのように言うと、聖書の中のお話で自分とは余り関係がないという感じがしてしまいます。しかし、考えてみれば、洗礼を受けるというのは、神様に身を献げるということに他ならないのではないでしょうか。もちろん私たちは髪の毛を切りますし、ぶどうから造ったものを口にするのも自由です。しかし、根本的に、私たちは自分をキリストのものと献げて洗礼を授けられました。それは、キリストが、私たちのためにご自分を献げてくださったからです。
ですから、キリスト者の生活は、キリストご自身の献身という絶対的な祝福から始まっているのです。今朝の箇所の最後にも、祝福がありました。この祝福の言葉を持って、今日一日の神からの祝福を頂きたいと思います。
「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
主が御顔の光であなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。
主が御顔をあなたに向けて、あなたに平和を賜るように(24~26)」。
2024年12月24日の聖句
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