今日の通読箇所:エフェソの信徒への手紙1、ヨシュア記12~13、詩編119:161~176
ヨシュア記12~13;
第12章には、ヨルダン川の東側と西側、それぞれで占領した土地とそこを治めていた王たちの名前がとても丁寧に記されています。その名前の一つひとつが、イスラエルの人々にとっては、神様の力強い御業を思い起こさせるものだったのでしょう。ヨシュアたちの時代の後、やがてヨシュア記がこのように書かれる時代、今やイスラエルの領土なっている土地の名前やそこをかつて治めていた王たちの名前を記録しながら、自分たちの力だけでは到底なしえなかった事柄について、神様が力を与え、なさしめてくださったことを思い起こしていたのではないでしょうか。
第13章では、冒頭このようにあります。「ヨシュアは多くの日を重ねて年を取った。主は彼に言われた。『あなたは多くの日を重ねて年を取ったが、占領すべき土地はたくさん残っている。残っている土地は次のとおりである。・・・あなたはただ、私が命じたとおり、くじを引いて、それをイスラエルの相続地として分けなさい』」(1,2,6節)。まだ、ヨシュアたちが足の裏で踏むべき場所はたくさん残っています。なお、ヨシュアは民の先頭に立ってそこに出て行って進め、と言われます。それはすでに年を取っていたヨシュアにとって、もしかしたら喜ばしい命令ではなかったかもしれません。しかし、神様はなおヨシュアを用いようとなさいます。
神様の力に頼り、またその導きに従って進むとき、自分自身の予想とは違う仕方で、神様は私たちを用いてくださいます。なお神のご命令は、意味を持ち続けている。私たちの足の裏踏むべき場所はまだ残っている。その神様の御業の幻を追い求めて、私たちは今日も進むことができるのです。
2025年9月18日の聖句
(主の言葉)なぜ、あなたがたは、糧にもならないもののために金を支払い、腹を満たさないもののために労するのか。私によく聞き従い、良いものを食べよ。(イザヤ55:2) (イエスの言葉)この人(やもめ)は、乏しい中から持っている物をすべて、生活費を全部入れた。(マルコ12:44) 今日...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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(主の言葉)恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。(創世記15:1) こうして、アブラハムは忍耐の末に、約束のものを得ました。(ヘブライ6:15) 「恐れるな。」神さまは私たちに語りかけてくださいます。「恐れるな!」 しかも、もったいないこ...