知恵の呼び声が巷に響いている。しかし、誰もそれに耳を傾けようとはしない。「いつまで浅はかな者は浅はかであることに愛着をもち…」。自分の価値観や生き方への執着が知恵の呼び声を聞くべき耳を閉ざしてしまう。主を畏れることを選んでいない(29節)。「だから、自分たちの道が結んだ実を食べ、自分たちの意見に飽き足りるがよい」。自分の意見が通るならそれが理想的だと思ってしまうが、実はそれが裁きだと言う。浅はかさへの執着だからだ。
2025年9月3日の聖句
あなたがたに新しい心を与え、あなたがたの内に新しい霊を授ける。(エゼキエル36:26) 敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。天におられるあなたがたの父の子となるためである。(マタイ5:44~45) 主なる神さまが約束してくださいました。「あなたがたに新しい心を与え、あなたがた...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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(主の言葉)恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。(創世記15:1) こうして、アブラハムは忍耐の末に、約束のものを得ました。(ヘブライ6:15) 「恐れるな。」神さまは私たちに語りかけてくださいます。「恐れるな!」 しかも、もったいないこ...