2019年5月22日水曜日

2019年5月22日(サムエル記上9〜10)

今日の通読箇所:ルカによる福音書19:28~48、サムエル記上9~10、ヨブ記2

サムエル記上9~10;
王を求める民の声に応えて、サウルが王として立てられます。彼は美男子でした。「優れた若者で、その美しさに並ぶ者はイスラエルにおらず、民の誰よりも肩から上の分だけ背が高かった(9:2)」。今朝の箇所の最後に彼が選ばれたとき、イスラエルはこの見目麗しい、新しい王に熱狂します。「人々は走って行き、そこからサウルを連れて来た。彼が民の真ん中に立つと、民の誰よりも肩から上の分だけ背が高かった。サムエルは民全体に言った。『主が選んだこの人を見たであろう。彼に並ぶ者は民のうちにいない。』民は皆、喜び叫んだ。『王様、万歳』(10:24)」。
格好良くて素敵な支配者に民が熱狂するというのは、いつの時代でもよくある光景であるのかもしれません。それにしても、サウルのこの美しさは、彼の王としての地位が確かになるにつれて、後々とても皮肉な特徴になっていきます。
サウルはサムエルとで会った当初は「私はイスラエルで最も小さな部族ベニヤミンの者で、私の一族はベニヤミン族でも末席に連なる者です(9:21)」と、自分を決して過大評価せず、その小ささを自覚する人でした。ベニヤミン族と言えば、士師記第19章にあった醜聞を犯した一族で、イスラエルの中でもその地位は大変低いものであったと思われます。しかし、神様はその小さなものの中から新しい王を立ててくださいました。
やがて、サウルは、自分の王としての地位にのみしがみつくようになってしまいます。彼は見た目は麗しかったが、神様を畏れることはありませんでした。小さな自分に目を留め、王としてくださった神様を見上げることは、ほとんどありませんでした。私たちも、小さな存在です。しかし、私たちはその小ささを簡単に忘れてしまいます。小さなものであることは、神様の御前では、恵みです。神様を神様として崇め、この方の前で身を低くするために、私たちに必要な『開き』のようなものなのです。神は、ご自身の前で自らを低くする者を、高く上げてくださいます。

2025年3月12日の聖句

ノアは主の好意を得た。(創世記6:8) あなたがたは、選ばれた民、王の祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある顕現を、あなたがたが広く伝えるためです。(1ペトロ2:9) 神があなたを選び、ご自分の民、...