今日の通読箇所:使徒言行録21:1~16、列王記下9~10、箴言2
列王記下9~10;
アハブの家に、神の裁きが下ります。その最後は悲惨なものでした。エリシャは、若い預言者を遣わして、イスラエルの将軍イエフに油を注いで新しい王とします。そのイエフが、アハブの子であるヨラムに謀反を起こし、彼を殺しました。イエフはヨラム王に対しては「あなたの母親イゼベルの淫行と呪術がはびこっている」と言い、イゼベルに対しては「あの呪われた女」と言います。彼の心は怒りで燃えていた。主なる神をとことん蔑ろにし、バアルに国と国民を明け渡した王家に、イエフは怒り、熱情を燃やしていたのです(10:16)。その心は、「私は万軍の神、主に非常に熱心に仕えてきました(列上19:10)」と言ったエリヤの心と一つだったのだと思います。
イエフはアハブの身に起こったことを、自分の軍事的な手柄とは考えませんでした。主の言葉が成就した、と受け止めていました。ヨラム王がナボトの所有地で死んだこと、イゼベルの死体が犬に食われたこと、一つひとつが主の言葉の成就だと言うのです。さらに、アハブの家の者たちも、バアルの預言者も、皆殺しにされました。バアルの神殿は徹底的に破壊しつくされ、肥だめにまでされたのです。
イエフのしたことは本当に徹底していて、もしかしたら、そこまでしなくてもいいのではないか、という感想が出てくるのではないかと思います。確かに現代の社会の感覚からすると、あまりに残酷です。しかし、私は考えないわけには生きません。アハブとイゼベル、そして彼らに連なる者たちにまで及ぶこの激しい裁きがどうして行われたのか。彼らが徹底して主を蔑ろにし、主に仕えることも礼拝することも拒み、主を捨てたからです。もしかしたら、アハブやイゼベルの姿は、私の姿であるのかもしれません。彼らは預言者たちを何人も殺しました。マタイ21:33~46で、主イエスがぶどう園と農夫のたとえをしてくださいました。ぶどう園の収穫を受け取るために遣わした使いたちを、農夫は何人も殺しました。最後には農園の主人の息子も殺しました。これは、明らかに私たちの姿です。イエスを殺した私たちです。私たちは、アハブとイゼベルと共に、神を殺す家の者として裁かれ、殺されるべきです。そのような私たち農夫を救ってくださったのは、他ならない、農夫に殺されたイエスご自身です。主なる神様の御前に、悔い改めつつひれ伏し、今日の日を始めていきましょう。
2025年9月8日の聖句
神が慈しみとまことを送ってくださいますように。(詩編57:4) 霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。(ガラテヤ5:22~23) 「霊の結ぶ実」と聖書は言います。霊、つまり神の霊である聖霊が私たちの内に実りを結んでくださる。私たち自身の実りではあり...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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(主の言葉)恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。(創世記15:1) こうして、アブラハムは忍耐の末に、約束のものを得ました。(ヘブライ6:15) 「恐れるな。」神さまは私たちに語りかけてくださいます。「恐れるな!」 しかも、もったいないこ...