2019年7月8日月曜日

2019年7月8日(列王記下19〜20)

今日の通読箇所:使徒言行録25、列王記下19~20、箴言5

列王記下19~20;
ヒゼキヤ王はアッシリアからの挑発の言葉、主なる神をも侮辱する言葉に深く怒り、悲しみ、また恐れました。彼は預言者イザヤに相談しました。イザヤは王に答えます。「あなたがたの主君にこのように伝えなさい。『主はこう言われる。アッシリアの王の家臣たちが私を冒瀆する言葉を聞いても、恐れるな。見ているがよい。私が王に霊を送り込むと、彼は噂を聞いて自分の国へ引き返す。そこで私は剣にかけて彼を倒す』」(19:6~7)。
そうです。私たちは恐れるのです。神様が侮辱されたときに。神様を信じず、侮る人を前にしたとき、私たちは恐ろしくなるのです。ヒゼキヤの恐れは、私たちの恐れです。しかし、預言者は言います。「恐れるな」と。恐れず私を信じなさい、と。神が私たちを救うことのおできになる力をお持ちなのだと、揺るぎなく信じるようにと訴えるのです。
ヒゼキヤはその呼びかけに答えました。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたが天と地をお造りになったのです。主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いてみてください。生ける神を罵るために送ってよこしたセンナケリブの言葉を聞いてください。主よ、確かにそうです。アッシリアの王たちは諸国民とその国土を荒廃させました。彼らはそれらの神々を火に投げ込みました。しかし、それらは神ではなく、木や石であり、人の手で造られたものに過ぎないので、滅ぼすことができたのです。私たちの神、主よ、どうか今、私たちを彼の手から救ってください(15から19節)」。
ヒゼキヤは、私たちの信じる主なる神は、他の神々の中の一人ではない、one of themではないと言います。だから、恐れなくていい。この世界を造り、支配しておられる方は、強国アッシリアをも支配しておられる。他の神々がアッシリアの王の手で火に投げ込まれたのは、もともとあれらが神ではなかったからに過ぎない。そう言います。
ヒゼキヤを取り巻いていた状況は、大変厳しいものでした。ここでのアッシリアも、第20章に登場するバビロンも、世界史に今でも名前が残っている超大国です。人間的に言えば、恐れるだけの理由がいくらでもあります。しかし、神様のご支配を、そのようなときにも信じることができる。それが、預言者イザヤがヒゼキヤ王に訴えかけた信仰の道なのではないでしょうか。

2025年1月12日の聖句

今週の聖句: 神の霊に導かれる者は、誰でも神の子なのです。(ローマ8:14) 今日の聖句: 憎しみはいさかいを引き起こし、愛は背きのすべてを覆い隠す。(箴言10:12) 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めの献げ物として御子をお遣わしになりまし...