今日の通読箇所:コリントの信徒への手紙二8、エステル記1
エステル記1;
エステル記はクセルクセスが支配していた時代のペルシアでの出来事です。キュロス王以降にイスラエルへ帰還した人々もいましたが、むしろそれは少数派で、大多数はペルシアに残って生きていました。その中にいたのががこの話に登場するエステルであり、モルデカイです。しかし今朝のこの第一章では、まだエステルもモルデカイもあずかり知らぬところから話が始まっています。
クセルクセス王と王妃ワシュティの出来事が、物語の第一幕となりました。宴席で上機嫌になったクセルクセス王は、集まった者たちにワシュティの美しさを自慢しようと考え、彼女に王妃の冠をかぶらせて皆に見せびらかそうとしました。クセルクセスは宦官に命じてワシュティを召し出そうとしましたが、彼女はこれを拒否。立腹しがクセルクセスは大臣たちに相談をします。彼らはワシュティの振る舞いは王のみならず国内すべての男たちにとって不都合だとして、ワシュティを王妃の座から追い落とすようにクセルクセス王に進言しました。王は言われてとおりにします。
ワシュティを巡って起きたことは、男性と女性の社会的な性差の問題と映ります。王の召しを断ったワシュティ。その理由は書いてありません。見世物にされることを拒んだのか、その日は体調が悪かったのか。いずれにしても、断るには大変な勇気が必要だったに違いない。思えばこのエステル記は、そのようにして命をかけて王という権力者の前に一人屹立する人たちの物語とも言えます。そう考えると、クセルクセスは自分の王という権力ある立場に寄りかかっているとも考えられます。私たちは、今、自分の足で立っているのでしょうか?
2024年12月26日の聖句
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