2019年10月24日木曜日

2019年10月24日(エレミヤ書46〜47)

今日の通読箇所:ヨハネによる福音書5:1~18、エレミヤ書46~47

エレミヤ書46~47;
前の章から時代は遡り、ユダの信仰の改革者ヨシヤ王の少し後の時代です。ヨシヤはエジプトのファラオ・ネコとの戦争に敗れて死にました。しかしネブカドレツァル王率いるバビロンがエジプトを打ち破ります。ここにあるのは、この出来事についての言葉です。
エレミヤ自身、ヨシヤ王にはとても期待していました。ところがその期待が無残にも打ち砕かれた。その後、ユダは、信仰的にも政治的にも転落の一途をたどりますから、まさに分水嶺を悪い方に進んでしまった、ということになるでしょう。悪い方への変化が顕著になり始めた時代の言葉です。この時にエレミヤが語ったのは「だからあなたは恐れるな、わが僕ヤコブよ、おののくな、イスラエルよ。私はあなたを遠くから、あなたの子孫を捕囚の地から救い出す」(46:27)という言葉でした。希望があるから神を信頼しよう、と言ったのです。イスラエル自身には、外面的にも内面的にも希望は失われていました。エレミヤ自身、そのことを深く嘆いていました。しかし、神様に希望をかけよう、神様に立ち帰ろうと心を込めて説得しました。
私たち教会が今語るべきも、同じ言葉だと思います。「ヤコブは帰って来て、平穏の内に安らぎ、脅かす者はいない。あなたは恐れるな、わが僕ヤコブよーー主の仰せ。私があなたと共にいるからだ」(27~28節)。神様に立ち帰って平安を頂こう、ここにこそ平和がある、教会はそう語ります。
エジプトは、当時とても繁栄していました。捕囚が始まった後、ユダに残った人が難民になって身を寄せたいと考えたことも、当時の時代状況からしたら故なしのことではありません。大国で安心して暮らしたい。しかし、私たちの真の平穏は、主にある。主を知り、主を崇めるとき、私たちは本当に安らかに、隣人と共に生きることができるのです。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...