2019年10月25日金曜日

2019年10月25日(エレミヤ書48〜49)

今日の通読箇所:ヨハネによる福音書5:19~47、エレミヤ書48~49

エレミヤ書48~49;
モアブ、アンモン、エドム、ダマスコ、ケダルおよびハツォルの諸王国、エラムへの主の言葉がエレミヤの口を通して語られます。主は、ただイスラエルの神であるだけでなく、全地の主でいらっしゃるという事実に改めて気づかされます。これらの諸国も、神がお造りなった世界にあります。もちろん、私たちの国も。まだ旧約の時代なので、新約を知っている私たちの感覚ではなかなか捉えきれないようなところもあるかも知れませんが、しかし何よりもまずは主なる神様が異邦の国々をも治める方だという事実に目を向けたいと思います。
私たちに引き寄せて言えば「キリスト教は西洋の宗教だ」という考えをしない、ということにもなろうかと思います。確かにローマに福音が届けられて以来、教会は長いことヨーロッパに根ざして歩んできました。しかしそもそもアブラハムは中央アジアの辺りから出てきていますし、イスラエルは中近東です。いや、もっと根本的に、神様が世界の主でいらっしゃるということを私たちはもっと重んじるべきです。ですから、基本的に、神の民イスラエルが問われていることは、すべての人が同じように問われることでもあるのではないでしょうか。
「逃げよ、自分の命を救え。しかし、あなたがたは荒れ野の中のアロエルのようになる。自分の業と宝に頼ったので、あなたもまた占領される」(48:6~7)。私たちは自分の命を救うために、一体何に頼るのでしょう。神様は、私の業と宝に頼れ、とおっしゃっているのではないでしょうか。神の御許にこそ、私たちの救いがある。それは、誰にとっておも同じ事です。ここに救いがあります!ここに私たちの幸いがあります!私たちは、すべての人のための、キリストの救いの言葉を託されています。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...