今日の通読箇所:ヨハネによる福音書5:19~47、エレミヤ書48~49
エレミヤ書48~49;
モアブ、アンモン、エドム、ダマスコ、ケダルおよびハツォルの諸王国、エラムへの主の言葉がエレミヤの口を通して語られます。主は、ただイスラエルの神であるだけでなく、全地の主でいらっしゃるという事実に改めて気づかされます。これらの諸国も、神がお造りなった世界にあります。もちろん、私たちの国も。まだ旧約の時代なので、新約を知っている私たちの感覚ではなかなか捉えきれないようなところもあるかも知れませんが、しかし何よりもまずは主なる神様が異邦の国々をも治める方だという事実に目を向けたいと思います。
私たちに引き寄せて言えば「キリスト教は西洋の宗教だ」という考えをしない、ということにもなろうかと思います。確かにローマに福音が届けられて以来、教会は長いことヨーロッパに根ざして歩んできました。しかしそもそもアブラハムは中央アジアの辺りから出てきていますし、イスラエルは中近東です。いや、もっと根本的に、神様が世界の主でいらっしゃるということを私たちはもっと重んじるべきです。ですから、基本的に、神の民イスラエルが問われていることは、すべての人が同じように問われることでもあるのではないでしょうか。
「逃げよ、自分の命を救え。しかし、あなたがたは荒れ野の中のアロエルのようになる。自分の業と宝に頼ったので、あなたもまた占領される」(48:6~7)。私たちは自分の命を救うために、一体何に頼るのでしょう。神様は、私の業と宝に頼れ、とおっしゃっているのではないでしょうか。神の御許にこそ、私たちの救いがある。それは、誰にとっておも同じ事です。ここに救いがあります!ここに私たちの幸いがあります!私たちは、すべての人のための、キリストの救いの言葉を託されています。
2025年4月3日の聖句
わたしの民は二つの悪を行った。いのちの水の泉であるわたしを捨て、多くの水溜を自分たちのために掘ったのだ。水を溜めることのできない、壊れた水溜を。(エレミヤ2:13) (イエスの言葉)私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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仲間に向かって平和を口にするが心には悪意を抱いている「神に逆らう者」いる。しかし、私は主を呼び求めます、と告白する。「至聖所に向かって手を上げ、あなたに救いを求めて叫びます。」新約の信仰に生きる者にとって、この至聖所はキリストがおられる「恵みの座」であり、我らは大胆にもそこに近...
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これほど深い絶望の言葉があるのか。神に見捨てられた。しかも「わたしの神」と呼ぶ方に。昨日までは親しい思いを抱いていたのか。今なお愛を込めて呼ぼうとしているのか。神は応えてくださらない。「主に頼んで救ってもらうがよい」などと誰に言われずとも自分が一番願っている。しかし、助けは来な...