2019年10月30日水曜日

2019年10月30日(哀歌4)

今日の通読箇所:ヨハネによる福音書8:1~30、哀歌4

哀歌4;
飢えに貫かれる者より、剣に貫かれる者のほうがましだ。刺し貫かれて死ぬほうが、畑の作物がなくて死ぬ者よりもましだ。(9節)
戦後の食物が豊かな時代の日本に生きてきた私は、飢えを知らない。正直に言って、そのことを痛感させられる言葉だった。剣に刺し貫かれて死ぬよりも苦しい、飢えの苦しみ。その苦しみは、さらにこのように言われる。
憐れみ深い女たちの手がわが子を煮炊きして、娘であるわが民の破滅の時に自分の食物とした。(10節)
母が自分の子を煮炊きして食べる。これほどの飢えに苦しんでいる。鬼のような母がそうした、と言っているのではない。どんなに憐れみ深い母も絶えられずにわが子を殺してしまうほどの飢えに襲われている。飢饉のための飢えではない。戦争である。戦火にさらされて、庶民が食べるものはもはやないのだ。いや、貴族にだって、この都そのものから食べ物がなくなってしまったのだ。もう、エルサレムは滅びるしかない。
私たちは、今の日本社会で、これほどの飢えにさらされることは、通常ではなくなった。社会のセーフティネットは年々弱ってはいるもののまだなんとか維持できている。しかし、思えば母がわが子を食い物にするような事件がたびたび起こっている。父がわが子を食い殺すかのように痛めつける事件が報道される。私たちは見聞きする度に、心を痛める。いや、心を痛めるだけではもうすまない所まで事態は進んでしまっているのではないだろうか。哀歌の歌を歌った信仰者は、この悲惨に神の裁きを見ていた。私たちも、この社会を神との関わりの中で捉え直さなければならない。私たちは、キリスト者もそうでない者も等しく、この社会の中で心が貧しくなってしまっている。自分の感情の発露が優先されて、真理の追究をやめてしまった。感情が劣化した。その劣化は、親と子の絆すら破壊した。
今、私たちの世界は、深刻な傷のために呻いている。救いを求めている。哀歌の作者が見たのと同じ荒廃が広がっている。救いが必要なのだ。私たちを罪の沼から救いだしてくださるお方が必要なのだ。「マラナ・タ。主よ、来てください。」今日、私たちはそう祈り、歩んでいこう。

2024年6月17日の聖句

新しい歌を主に歌え。まことに主は奇しき業を成し遂げられた。(詩編98:1)  私たちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを与えられた。(ヨハネ1:16)   私たちの主を賛美する新しい歌は、主の奇しき業から始まります。主がなしてくださった御業に応えて、私た...