「不遜な者を叱るな、彼はあなたを憎むであろう。知恵ある人を叱れ、彼はあなたを愛するであろう。」とても耳が痛い。叱られる者として、である。自分を叱る人を憎むことは不遜のしるしに他ならないのだ。不遜は知恵と両立しない。叱責を受け入れることがすでに知恵の始まりであり、更に知恵を得る道なのだ。それは「主を畏れることは知恵の初め」と言うとおり、主の前に自分を絶対化しない謙遜と結びつく。心柔らかな知恵である。
2019年10月31日木曜日
2025年7月30日の聖句
私の戒めを守って生きよ。 私の教えを目の瞳のように守れ。(箴言7:2) 青年はイエスに言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」(マタイ19:20) 神さまがモーセと出会われたときのことです。神さまはモーセにおっしゃいました。「私は、エジプトにお...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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神によって私たちは力を振るいます。(詩編60:14) きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。(ローマ12:1) 今日の二つの御言葉がいっしょに掲げられているというのは本当に面白いなと思います。神によっ...