2019年11月1日金曜日

2019年11月1日(エゼキエル書1〜2)

今日の通読箇所:ヨハネによる福音書9:1~23、エゼキエル書1~2

エゼキエル書1~2;
主は私に言われた。「人の子よ、自分の足で立ちなさい。私はあなたに語ろう。」主が語られたとき、霊が私の中に入り、私を自分の足で立たせた。私は、語りかける者に耳を傾けた。(2:1~2)
預言者エゼキエルは捕囚の民の中にいました。ケバル川のほとりで、神の幻を見ます。1:4以下、ヨハネの黙示録と似たような、不思議な、そして圧倒的な幻をエゼキエルは目撃します。私たちの想像を超えたような幻なので、読んでもその光景を思い描くことが陸奥歌詞ですが、その急所は28節にあるとおり、「これは主の栄光のような姿であった」という、神の栄光を表す描写である、という点にあります。そのことを知り、エゼキエルはひれ伏しました。その時に響いたのが冒頭の言葉です。
「人の子よ、自分の足で立ちなさい。私はあなたに語ろう」と主はエゼキエルに言われます。神は、ご自分の言葉を聞く者に対して、自分の足で立つことをお求めになります。神の前に立つ一人の人間として、御言葉に聞くようにと言われる。そして、そのために、ご自身の霊を送ってくださいます。
そこでエゼキエルが聞かされた言葉は、彼に預言者としての使命を与える言葉でした。「人の子よ、私はあなたをイスラエルの子ら、すなわち、私に逆らう反逆の国民に遣わす。彼らもその先祖も私に背き、今日に至っている」(2:3)。預言者は、神に従おうとはしない者たちのところへ遣わされました。さらに、神様は言われます。「人の子よ、あなたは彼らを恐れてはならない。その言葉を恐れてはならない。たとえあなたが、いらくさと刺の中にいても、っまた、さそりの上に座すとしても、彼らが反逆の家だからといって、その言葉を恐れてはならない。彼らの前におののいてはならない。彼らが聞こうと、反逆の家ゆえに拒もうと、私の言葉を語らなければならない」(6~7節)。恐れずに語り続けることこそ、「自分の足で立つ」ということであろうと私は思いました。神様は、そのためにご自身の霊を送ってくださいます。今日の預言者として立てられたキリストの教会にも、神は同じ霊を送ってくださっていると信じます。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...