2019年12月26日木曜日

2019年12月26日(ゼカリヤ書4〜6)

今日の通読箇所:ルカによる福音書2:41~52、ゼカリヤ書4~6

ゼカリヤ書4~6;
神が預言者ゼカリヤに見せた幻の話が続きます。ここで彼が見たのは、このような幻でした。「すべてが金でできている燭台が見えます。その上部には丸い鉢があり、その上に七枚の灯皿があり、その上部にある灯皿には七本の管がありました。その傍らに二本のオリーブの木があり、一本は丸い鉢の右に、もう一本はその左にあります」(4:2~3)。
この燭台には七枚の灯皿があり、上部の灯皿には七本の管があるとあります。どういう形状だったのか、少しわかりにくいです。7つの灯皿それぞれに七本の管が付いていたと言うことであれば、合計49の灯皿があったということでしょうか。それぞれに火がともされていたのであれば、随分と明るかったのではないかと思われます。
さらにこの燭台の両脇には、左右それぞれにオリーブの木があります。この木は、恐らく神殿再建事業の中心的人物であったゼルバベルとヨシュアを象徴している。今、彼らを中心に帰還民が取り組んでいる神殿再建事業は、神の光が向けられているという意味なのだろうと思います。
「これはゼルバベルに向けられた主の言葉である。武力によらず、権力によらず、わが霊によるーー万軍の主は言われる」(6節)。神の光の中で行われている神殿再建(礼拝再建)の業は、武力によらず、権力によらず、ただ神の霊によって進められるのです。神の光が、行くべき道を照らしているのです。
ゼカリヤが第七の幻で見たのは、エファ升でした。その蓋を開けると、一人の女が座っていた。これについて、「これは邪悪である」(5:8)と言われています。そして、この升はシンアルの地に運ばれ、そこに神殿が建てられると言われます。シンアルと言えば、バベルの塔が建てられたところです。この幻は、人間が自分たちの力を神としてあがめる、その邪悪性について指摘をしているものと思われます。
人間が自分たちの力を神とするということは、人間の宿命的な悪であると思います。その邪悪がエファ升によって象徴されていることは、意味深いと思います。自分の力への過信は升を歪めます。取引を不正にし、富める者が富を収奪し、貧しい者はますます貧しくなる。
だからこそ、武力によらず、権力によらず、ただ神の霊によるのでなければ、礼拝は再建されません。そして、私たちの人間らしさも取り戻されることがありません。この一人の預言者は、そのことを語りかけているのではないでしょうか。

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