2020年1月16日木曜日

2020年1月16日(マタイによる福音書12:22~50)

マタイによる福音書12:22~50;
イエスが悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人を癒やされた。するとそれを見ていたファリサイ派の人々は、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と難癖をつけます。この癒やしの奇跡を見て、人々がイエスのことを「まさか、この人がダビデの子ではあるまいか」と言ったので、それを否定した格好です。ダビデの子、つまり神が遣わしたメシアなどではなく悪霊の手先だ、と断じたのです。
思い返すと、9:27~34で、主イエスはまず二人の盲人を癒やし、その次に口の利けない人を癒やし、それを見ていたファリサイ派の人々から「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言われていました。全く同じモチーフが繰り返されています。この9:27~34と今日の10:22~32の間にあるのが、弟子の招集と派遣です。弟子たちは、キリストと悪霊との戦いが繰り広げられている世界へ遣わされた、ということではないかと思います。
そこでの戦いは、主ご自身も、弟子たちも、天の国の到来を宣べ伝え、そのしるしである癒やしの業を行い、それを見た人々から時に「悪霊の手先だ」と裁かれてしまいます。しかし、それでも主の御業は続きます。「神の国はあなた方のところに来た(28節)」からです。そのしるしとして、キリストは神の力で悪霊を追い出した。キリストは、戦っておられます。
悪霊との戦いについて、エフェソの信徒への手紙にはこのような言葉があります。「さて、あなたがたは、過ちと罪のために死んだ者であって、かつては罪の中で、この世の神ならぬ神に従って歩んでいました。空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な子らに今も働く霊に従って歩んでいます。」「最後に、主にあって、その大いなる力によって強くありなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるように、神の武具を身につけなさい。私たちの戦いは、人間に対するものではなく、支配、権威、闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊に対するものだからです。」この手紙を書いたパウロは、主イエスと同じまなざしで世界を見つめていました。罪の力でこの世界を支配する悪霊のリアリティを見ていました。キリストは、私たちの目を見えなくし、口を閉ざしてしまう悪霊の力から解放するために、私たちをこの世界へと遣わされます。
そこで働く神の力を、悪霊の力(つまりこの世界の罪の力)だと見なして軽んじ、キリストの御支配を退けることは、「(聖)霊に対する冒瀆」であり、「聖霊に言い逆らう」ことだと言われます。神様ご自身の霊が私たちを悪と罪の支配から私たちを解放しようとしてくださっている。だからその神の支配(神の国)を受け入れてほしい、神の国はもう来ているのだから。主イエス・キリストはそのように宣言なさいます。

2024年12月26日の聖句

私が主、彼と共にいる彼らの神であり、彼らがわが民イスラエルの家であることを、彼らは知るようになるーー主なる神の仰せ。(エゼキエル34:30) 今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。(ルカ2:11) 天使が羊飼いたちに向かって宣言し...