2020年1月31日金曜日

2020年1月31日(マタイによる福音書24:1~28)

マタイによる福音書24:1~28;
「イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかに御もとに来て言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたがた来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。」
ここから、世の終わりについて語る言葉が続きます。読むと恐ろしいような言葉が続きますし、書いてあることが少し抽象的なので、好きなように解釈してしまいがちです。実際、これまであらゆる我田引水な解釈が横行し、それこそ「私がメシアだ」と名乗る人が大勢出てきました。世にあるキリスト教系カルトの多くは、こういう聖書の言葉や、あるいはヨハネの黙示録などを好き勝手に読んできたところがあると思います。しかし、主イエスは、そういう偽メシアは必ず現れるが、慌てないように注意しなさい、と言われます。あるいは戦争や戦争の噂も必ず起こる。ほかの災難も必ず襲ってくる。しかし、それが世の終わりの徴ではない、と言われます。「世の終わり」というのは、私たちの手には余ります。神様がお決めになることですから、それがいつかと騙る者は偽り者ではないでしょうか。
ただ一つ明らかなことは、必ず苦しみの時が来る、ということです。何よりも、マタイは、今自分たちの目の前にある事件に巻き込まれながら、この主イエスの言葉を語り直していました。「預言者ダニエルの語った荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つのを見たらーー読者は悟れーー、その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。」ここで「読者は悟れ」と言っているのは、主イエスご自身の言葉ではなく、それを引用するマタイの注釈です。この福音書を読んでいる人には主が何のことを言っているのか分かるだろう、と言います。マタイが福音書を書いた時代は、実際にローマ帝国に神殿が破壊され、ユダヤは再び崩壊していました。マタイは、実際に、そういう苦しみの時代に主イエスの言葉を語り伝えました。
そのような事件は、それ以来2000年間、絶えず繰り返されました。数え切れないほど無数の偽メシアが現れました。その間、歴史のキリスト者たちは、主イエスの言葉を思い起こしながら生きてきました。この苦しみの時代に、主イエスは私たちと必ず共に歩んでいてくださると信じて。今は「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」時代です。だからこそ、キリストを待ち望んで、私たちは今日という日を生きていきます。そうです。終わりの日というのは、キリストが私たちこの世界を滅ぼすためではなく、救うために来てくださる日です。この世界で苦しむすべての者への神の愛をキリストが完成してくださる。その日を待ち望み、私たちは今日の日を生きていきます。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...