マタイによる福音書5:21~48;
「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、私は言っておく。きょうだいに腹を立てる者は誰でも裁きを受ける。きょうだいに『馬鹿』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、ゲヘナの火に投げ込まれる。」
この言葉から始まって、性についても、結婚生活についても、偽りの誓い、復讐、敵、どれも、私たちの存在の根本的なところに罪を見ているように思います。上記の「馬鹿」とか「愚か者」とか兄弟に言うなというところは、相手が誰であれ、身に覚えがない人はいないのではないでしょうか。しかも、腹を立てるというのは人間の内面の働きです。声を荒らげて「馬鹿」とか「愚か者」と言わなくても、私たちは心の中できょうだいを罵っているのではないか。主は、そこを問われます。口に出さずとも、私たちはきょうだいを「馬鹿」と罵って腹を立て、心の中で愚か者と悪態をついて裁いていないか、と。
主イエスは、私たちの存在の根本的な、一番深いところに巣くっている罪、悪魔的な力に支配された私たちの罪に目を留めています。しかし、同時に主イエスは私たちに、あなたたちはこう生きられるはずだという展望をも込めて、私たちにこの山上の説教の言葉を語りかけたのではないでしょうか。「だから、あなたがたは、天の父が完全であられるように、完全な者となりなさい」と励まします。完全な者、それはこの世界にただ一つ完全な、キリストによって示された神の愛にすがりつくということではないでしょうか。私たちは、人間存在として、根本的なところに癒やしがたい罪を抱えています。そうであるからこそ、キリストは私たちを泥沼のような罪から救いだしてくださいました。だから、赦された者として、私たちはキリストの後についていく。きょうだいとの新しい関わりの中へと出ていきます。
「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、私は言っておく。きょうだいに腹を立てる者は誰でも裁きを受ける。きょうだいに『馬鹿』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、ゲヘナの火に投げ込まれる。」
この言葉から始まって、性についても、結婚生活についても、偽りの誓い、復讐、敵、どれも、私たちの存在の根本的なところに罪を見ているように思います。上記の「馬鹿」とか「愚か者」とか兄弟に言うなというところは、相手が誰であれ、身に覚えがない人はいないのではないでしょうか。しかも、腹を立てるというのは人間の内面の働きです。声を荒らげて「馬鹿」とか「愚か者」と言わなくても、私たちは心の中できょうだいを罵っているのではないか。主は、そこを問われます。口に出さずとも、私たちはきょうだいを「馬鹿」と罵って腹を立て、心の中で愚か者と悪態をついて裁いていないか、と。
主イエスは、私たちの存在の根本的な、一番深いところに巣くっている罪、悪魔的な力に支配された私たちの罪に目を留めています。しかし、同時に主イエスは私たちに、あなたたちはこう生きられるはずだという展望をも込めて、私たちにこの山上の説教の言葉を語りかけたのではないでしょうか。「だから、あなたがたは、天の父が完全であられるように、完全な者となりなさい」と励まします。完全な者、それはこの世界にただ一つ完全な、キリストによって示された神の愛にすがりつくということではないでしょうか。私たちは、人間存在として、根本的なところに癒やしがたい罪を抱えています。そうであるからこそ、キリストは私たちを泥沼のような罪から救いだしてくださいました。だから、赦された者として、私たちはキリストの後についていく。きょうだいとの新しい関わりの中へと出ていきます。