2020年2月16日日曜日

2020年2月16日(ローマの信徒への手紙7)

ローマの信徒への手紙7;
「内なる人としては神の律法を喜んでいますが、私の五体には異なる法則があって、心の法則と戦い、私を、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのです。私はなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、誰が私を救ってくれるでしょうか。」
パウロは真剣な人です。何よりも、キリストを信じ、キリストの僕として生きることに一所懸命な人でした。その一事に生きていました。ところが、そうであるからこそ、彼は自分の罪に心を痛めました。神が与えてくださった律法を喜び、この身を献げて神に仕えて生きていきたい。そう願いながら、自分の実際の姿は罪の虜になっている。もしもパウロがいい加減な気持ちでいたり、適当なところでごまかすような人であったら、このすばらしい手紙が書かれることもなかったでしょう。パウロのこの真剣さも神が与えてくださった贈り物であるに違いない。しかし、この痛みはただパウロだけのこと、私たちにとって他人事では済みません。
私たちも、同じです。同じ惨めな人間です。「私は自分のしていることが分かりません。自分の望むことは行わず、かえって憎んでいることをしているからです。・・・それを行っているのは、もはや私ではなく、私の中に住んでいる罪なのです。」これは私たち自身の呻きではないでしょうか。私たちは、本当に自分がしたいと思っていることをしているのでしょうか?
今は、自己実現の時代です。自分のしたいことをすることが何よりも大事なこととされています。確かに、自己決定権も認められずに周りの者が役割として押しつけたことを忍耐してこなさなければならないということから自由になったのは、すばらしいことです。しかし、無制限な自己実現の恐ろしさも、私たちは実感として知っているのではないでしょうか。人間が願うことは、どれもこれもがすばらしいこととは限りません。したいことの彼方には、結局惨めさしか残らないということも本当のことなのではないでしょうか。
私たちを欲望や罪の虜にする衝動から、一体どうしたら自由になれるのでしょうか。
パウロは言います。「私たちの主イエス・キリストを通して神に感謝します。このように、私自身は、心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。」罪の法則に仕えてしまっている私たちを救ってくださるのは、ただキリストだけです。キリストが私たちを罪から解放して、自由にしてくださるのです。だから、この方の招きに、今朝、応えましょう。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...