2020年4月2日木曜日

2020年4月2日(マルコによる福音書10:1〜31)

マルコによる福音書10:1~31;
「弟子たちはますます驚いて、『それでは、誰が救われることができるだろうか』と互いに言った。イエスは彼らを見つめて言われた。『人にはできないが、神にはできる。神には何でもできるからだ。』」
金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しいと主イエスは言われました。金持ちの青年が主イエスの前に現れ、立ち去ってしまった後のことです。彼は「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」とイエスに尋ねました。「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父と母を敬え」と、十戒で命じられていることを主イエスは改めて言われます。すると、彼は「そういうことはみな、少年の頃から守ってきました」と答えました。それで、イエスは彼を見つめ、慈しんで言われました。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に与えなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。それから、私に従いなさい。」すると、彼はこの言葉に顔を曇らせ、悩みつつ立ち去りました。冒頭のイエスと弟子たちとのやりとりは、その後のことです。
私は、このように言われてしまうと、金持ちでなくても、殆どの人があの青年と同じように顔を曇らせて立ち去らないといけなくなってしまうのではないか、と。私も、正直に言えば自分の僅かばかりの持ち物が大切ですし、握りしめて話せない物がいくつもあります。更に主イエスは「私のため、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子ども、畑を捨てた者は誰でも、今この世で迫害を受けるが、家、兄弟、姉妹、姉妹、母、子、畑を百倍受け、来たるべき世では永遠の命を受ける」とまで言われます。本当に正直に言うと、私はそう聞いて安心するよりも、恐ろしくなってしまいます。
あの青年は「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」と尋ねました。私は、永遠の命のために何をすればいいのですか、どうしたらその資格を得られますか。しかし、主がおっしゃったのは、「人にはできないが、神にはできる」ということです。私には永遠の命を受け継ぐための善い業は全うできません。しかし、神にはそのような私を憐れむことがおできになるでしょう。
この青年との出会いに先立って、主イエスは子どもたちに手を置いて祝福なさいました。「子どもたちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。よく言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」イエスはそうおっしゃいます。神の国を受け入れる、それは、全く神の国にふさわしくもない私を神が憐れんでくださることを受け入れることです。神の憐れみは当然、などと決して言えません。私はただ、子どものように一方的に与えられるだけです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...