2020年4月6日月曜日

2020年4月6日(マルコによる福音書11:20〜12:17)

マルコによる福音書12:20~12:17
主イエスと祭司長や律法学者、長老たちとの対立が激化していきます。神殿にいた商人の台をひっくり返し、神殿が「強盗の巣」になっていると厳しく戒めた。それを聞いた祭司長らはイエスを憎み、どうやってイエスを殺そうかと相談し始めました。ただ群衆の目が怖かったので、まだ実行に移すことはできないでいました。
しかし彼らは主イエスに詰問します。「何の権威でこのようなことをするのか。誰が、そうする権威を与えたのか」と。さらに権威問答に続く譬え話は祭司長らへの言葉でした。ぶどう園の主人が農夫たちに貸して旅に出た。「収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送った。」しかし、農夫たちは贈られてきた僕を次々に酷い目に遭わせて追い返し、ある者は殺してしまいました。主人は最後に「私の息子なら敬ってくれるだろう」と言って愛する息子を送りましたが、農夫たちは言います。「これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、財産はこちらのものだ。」それを聞いていた祭司長らは、イエスがこの話を自分たちに当てつけてしたのだと気づいて、ますますイエスを憎み、捕らえようとしました。ただこの時も群衆を恐れて実行には移せませんでした。
さらに、ファリサイ派やヘロデ派の人々が登場します。彼らは皇帝に税金を納めることは許されているのかいないのかとイエスに詰め寄り、言葉尻を捉えて陥れようとしました。つまり、納めるべきだと言えば神に背く権力者になびいていると言えるし、納めるなと言えばローマに対する反逆と言えます。するとイエスは銀貨を持ってこさせて、言います。「これは、誰の肖像と銘か」。すると彼らは答える。「皇帝のものです。」イエスは言います。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
これらの出来事はイエスと祭司長を初めとした人々との対立の激化をわたしたちに伝えます。対立の論点は、権威であったのだと思います。主イエスは、ご自身の権威を、神の愛する一人息子としての権威だと言われます。しかし人々はそれを受け入れることができませんでした。認められなかった。イエスの権威を拒みました。いちじくを枯らす権威はわたしたちの邪魔でしかないと言ってもいいかもしれません。しかし、キリストの権威は、わたしたちを神に造られたものとして取り戻す権威です。神に造られたとき、わたしたちは神のかたちに造られました。神の肖像と銘が刻まれていました。わたしたちの罪はそれを損ないます。人間らしさを失ってしまう。しかし、主はそれを取り戻してくださいます。神の肖像と銘が刻まれている私の本当の尊さを、主は回復してくださる。そのために、ご自身の権威を発揮してくださるのです。

2024年4月20日の聖句

私は必ずあなたを助け出す。剣に倒れることはない。あなたの命はあなたの戦利品となる。あなたが私を信頼したからであるーー主の仰せ。(エレミヤ39:18) イエスはその犯罪人に、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23:43) 主イエスが十字架の上で...