2020年6月11日木曜日

2020年6月11日(使徒言行録8:1〜25)

使徒言行録8:1~25
「さて、散っていった人々は、御言葉を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。」
ステファノが殉教しました。その場にいて、石を投げる者たちの上着の番をしていたサウロという若者は、エルサレムの教会に対するされに苛烈な迫害を繰り広げます。それで、使徒以外の者たちはちりぢりになって、ユダヤとサマリアの地方に広がっていきました。使徒言行録の冒頭で、主イエスは「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となる」と言われました。この言葉を聞いたとき、一体誰が迫害の結果、サマリアに行くことになると予想したでしょうか。エルサレム伝道を終え、次はサマリアと戦略的に手を伸ばしたのではなく、迫害の結果、思わぬ仕方でサマリアに行くことになります。それが聖霊の力による広がりだと言うのです。
中学生のころにボーイスカウトをやっていました。屋外にかまどを造り、薪でご飯を作りました。あるとき、火力が強すぎてフライパンの油に引火し、燃え上がったことがあります。焦った私は水をかけました。すると、火は消えるどころか辺り一面に飛び散ってしまいました。家の中でなくて良かったです。当時、そんな事故を起こしていたことはとてもリーダーには言えませんでした!
サマリアへの伝道の広がり。私のイメージは、この時の火が飛び散ったイメージに重なります。消そうと思って水をかけると、却って辺り一面に火が飛び散ってしまう。そうやって、福音は広がっていきました。聖霊の火が辺り一面に広がるのです。
その先では、困ったことも起こりまっす。シモンという魔術師とで会うと、彼は使徒たちの働きに驚き、金を出して自分にも同じことできるようにしてほしいと言い出しました。そういう困ったことも起こりましたが、そういうものなのかも知れません。教会は、いつでも問題を抱え込むものなのだと思います。新しい出会いは、新しい混乱をもたらします。しかしそれこそが福音が進んでいる証拠です。
ここでの大切な言葉は「二人が人々の上に手を置くと、聖霊が降った」です。使徒に降り、弟子たちに降った聖霊が、サマリア人にも降りました。彼らも神の霊に生き始めた。彼らも、信仰に生き始めたのです。このサマリアは、かつて主イエスが訪れた地です。使徒たちの口から福音を聞いたとき、何年か前にやって来た主イエスを思い出し、喜んだのではないかと思います。ここでも、聖霊が働いている。私たちの計画通りではなく、思わぬ仕方で。私たちの想像を超えて、聖霊の火は燃え広がっています。今も!

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...