2020年10月2日金曜日

2020年10月2日(テトスへの手紙2)

テトスへの手紙2
「実に、救いをもたらす神の恵みはすべての人に現されました。」
この御言葉は、クリスマスの時期にしばしば読まれます。私たちの教会でもクリスマスを祝う主日やその翌週などに、招きの言葉として聞くことの多い言葉です。本当に素晴らしい福音の宣言です。実に、救いをもたらす神のの恵みはすべての人に現されました。主イエスがお生まれになったというのは、そういうことです。救いをもたらす神の恵みは、もはや公然と現されました。しかも、すべての人に現された。隠されてはいません。誰でも、キリストにあって、神の恵みを見ることができる。そう、キリストによって現されたのは、神の恵みです。神の怒りや呪いではなく、神の恵みが現れた。私たちは誰でも、キリストというお方を通して、神の愛に触れることができるのです。
「その恵みは、私たちが不敬虔とこの世の欲とを捨てて、今の時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生きるように教え、また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私達の救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。」
主イエス・キリストは、私たちを罪の世から救おうという神の真剣な恵みです。そして、同じ真剣さをもって私たちを健全な敬虔に生かそうとする力ある神の要求でもあります。キリストに出会った者は、かつての不敬虔を離れて慎みを持ち、刹那的な生き方を捨ててキリストにある望みを持って生きることが自然です。人間としての自然な生き方、人間らしい生き方に気づかせていただのが、キリストと出会った者なのではないでしょうか。
キリストは、ご自分を献げてくださいました。「キリストが私たちのためにご自身を献げられたのは、私たちをあらゆる不法から贖いだし、良い行いに熱心な民を、ご自分のものとして清めるためだったのです。」キリストとの出会いは、私たちを新しい生き方へと導きます。
私たちはあまり自分にそういうことができるのかと言って自分に注目してしまうのではなく、私たちのために現された神の恵みそのものでいてくださるキリストに注目し、キリストの恵みを日ごとに味わい、キリストが私を新しくしてくださることを楽しんで生きていきたい。そう願います。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...