2020年11月6日金曜日

2020年11月6日(ヨハネによる福音書111:17~44)

ヨハネによる福音書11:17~44
「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」

ラザロの復活の出来事は、四つの福音書の中でもヨハネによる福音書にしか書かれていない出来事です。この福音書を書いたヨハネは、この出来事をどうしても知ってほしいと願ったのでしょう。ヨハネによる福音書は四つの福音書の中でも一番最後に書かれたものであると考えられています。およそ西暦90年頃のこと。エルサレムの神殿は20年ほど前に戦争で焼失し、キリスト教会はユダヤ社会から追放され、迫害の嵐の中に苦しんでいた時代。そういう時代を背景として、この福音書は書かれました。その時代に生きるキリスト者に、ヨハネはこのラザロの復活の出来事を報告したのです。この奇跡がしるしとして証言する福音をどうしても信じてほしい、と願ってのことです。
主イエスは言われます。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」何もかもが崩れた時代、社会からも追い出され、信仰のために迫害に遭っていました。殉教する仲間が大勢出ていました。「私は復活であり、命である。」そのように宣言する主イエスの御声は、特別な響きを持っていたに違いありません。私たちも、同じ主イエスの言葉に聞いています。
ラザロは死にました。もう四日も経った。マルタもマリアも悲しみ、泣いていました。もし、もっと早く主イエスが来てくださっていたら・・・。そう思うと、その悲しみはなおのこと大きかった。「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」この言葉は、私たちにもよく分かります。
主イエスは言います。「もし信じるなら、神の栄光を見ると言ったではないか。」あくまでも私たちが信じることを主イエスは望んでおられます。例えどんなに悲しんでいても、絶望せずに信じることを。
「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」主イエスは、私たちにも尋ねておられます。このことを信じるか、と。私たちの命も死も越えた、キリストのもたらす命の福音。これを信じるか?信じるなら、神の栄光を見る。「ラザロ、出て来なさい」という主イエスの呼び声を私たちも聞き、出てくることになる。主イエスは私たちにそう言われます。

2024年4月20日の聖句

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