2020年12月1日火曜日

2020年12月1日(ヨハネの黙示録1)

ヨハネの黙示録1
見よ、この方が雲に乗って来られる。
すべての人の目が彼を仰ぎ見る。
ことに、彼を突き刺した者たちは。
地上の部族は皆、彼のために嘆き悲しむ。
然り、アーメン。

聖書の最後に収められている、ヨハネの黙示録を読み始めます。1:1には「イエス・キリストの黙示」とあります。黙示とは何かということがすでに大きな問題です。黙示と翻訳されている言葉の原語の意味を辞書で引くと、覆われているものをとって顕わにするといった意味のようです。秘められたことを明らかにする。それが黙示という言葉です。
このヨハネの黙示録は、秘められたことを明らかにするために書かれました。何を明らかにするのか?それは、キリストがこの世界を支配しているという事実です。しかしその事実は今秘められている。なぜなら、この世界の目に見える「現実」が、キリストが支配しているということと矛盾して見えるからです。この黙示録が書かれた時代は、すでにローマ帝国によるキリスト教会への弾圧、迫害が激しくなっていた時代です。さらにこれから時代を負っていくとますます苛烈を極めていくことになる。キリストが支配しているとは、どう考えても言うことができないような時代だったのです。今起きている出来事が布のように覆っていて、キリストの御支配が隠されています。
そこで、ヨハネはこの時代を覆っている時代精神を取り去り、本当に私たちの歴史を支配しているのは誰なのかを明らかにします。歴史の支配者は皇帝という誰か特定の人物なのか、富なのか、政治機構やシステムなのか、あるいは人間の力を超えた悪魔的な支配なのか。表面的に時代を見ればそういうようなものが世界を支配しているように見えるが、実はキリストが支配しているということをヨハネは明らかにします。
ですので、ヨハネの黙示録の主題は未来の予告ではありません。いつか起こる災いを予言しているのではない。そんなのんきな話をしているのではなく、今この時、この世界を支配しているのは誰なのかを問うている。「見よ、この方が雲に乗ってこられる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る。」キリストは、今この世界を支配しているさまざまな力を打ち負かし、ご自分の救いの御業を完成させるために、かならずこの世界に再び来てくださいます。私たちは今、この世界で、キリストを待ち望みつつ、信じて生きているのです。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...